まだ出来るという気持ちを活力に

今季のリーグ優勝が決まった翌日の9月22日。試合前の練習中に原監督に神宮球場のクラブハウスに呼ばれた。「慎之助に対して考えていることを伝えたい」と、監督の希望、未来像を聞いたときに、すごくうれしかった。こんなに考えてくれているんだと。自分の考えとしては、来年できっぱり辞めようと考えていた。でも、話を聞いて、その瞬間にすっと納得できた。自分が気付いていないことに気付かせてもらった。だから自分の意思として「今年で辞めます」と伝えさせてもらった。

ルーキー時代からずっと「背番号10」と寄り添ってきた。プロ入り時に球団から提示されたのは「10」「22」「23」だった。それまでは縁がなかった番号だけど、伝統球団の中で自分が育ててきたという自負もある。洋服、アクセサリー、腕時計、今となれば身の回りに「10」があふれている。愛着もある。走る本数も1種目10本。最近はおっさんになったから、2、3種目を足して10本かな。今、球界は「10」が捕手の番号になりつつある。少年野球とか高校野球とかでも、そうなってくれたらと、少しだけ楽しみにしている。

19年間の現役生活は長かった。若いときのことなんか覚えていないことも多い。それぐらいまでプレーできたということがうれしい。「終わった」ではなく「次の挑戦が始まる」という気持ちが強い。「まだ現役で出来ると」いう気持ちを今後の活力にしないといけない。オムツを履いていたとき、父親の草野球に連れて行ってもらって野球に出会った。それから、ずっと夢中でいられた。一生の仲間もたくさんできた。

巨人対ソフトバンク ソフトバンクナインからも胴上げされる阿部(撮影・梅根麻紀)
巨人対ソフトバンク ソフトバンクナインからも胴上げされる阿部(撮影・梅根麻紀)

自分も父親になり、野球の練習で泥だけになった長男・成真(小2)の靴を洗っていて身に染みて実感した。両親のおかげで野球を続けられたんだと。最後に一番近くで応援してくれた家族、両親には感謝してもしきれない。

この先も野球人としてまっとうしたい。ありったけの「ありがとう」の思いを込めて。(巨人捕手)

◆阿部慎之助(あべ・しんのすけ) 1979年(昭54)3月20日、千葉県浦安市生まれ。安田学園-中大を経て、00年ドラフト1位で巨人入団。01年に新人捕手で開幕戦に先発出場し、初打席初安打初打点。04年4月、当時の日本記録に並ぶ月間16本塁打。09年日本シリーズMVP。12年は首位打者、打点王、最高出塁率に輝き、リーグMVP、正力賞。17年に通算2000安打、今年6月には通算400本塁打を達成。ベストナイン9度、ゴールデングラブ賞4度。180センチ、97キロ。右投げ左打ち。

(2019年10月24日、ニッカンスポーツ・コム掲載)