2010年に五輪階級の48キロ級で、2度目の現役復帰を果たした小原日登美さん(40)。だが、12年のロンドン五輪(オリンピック)まで、元々の体重から10キロ近い減量を強いられた2年間は過酷な時間だった。だが同時に、どうすれば体にいい減量ができるか勉強にもなった期間だった。意識を変え、創意工夫で乗り越えた最後の2年間を振り返り、今後を語る。

家族のために食事を作る小原さん

甘く考えていた減量、失敗で全て台なし

小原さんは元々、56、57キロの体重で生活していた。51キロ級時代は、食生活も自由。朝ご飯をファストフードにしたり、甘いモノを食べることもざらだった。

「『体重が増えても練習すればいいじゃん』という考えだったので、好きなときに食べたいモノを自由に食べる。炭酸飲料もすごく飲んでいました。それが自分のストレス発散だったんですが、そういう生活をしているとやっぱり48キロまで落とせなくなりました。体重を落として、増やして、落として…を繰り返しているうちに、脂肪がつきやすくなってきた時期もあって…」

復帰年に行われた2010年11月のアジア大会で、48キロ級の減量に失敗した。計画通りに体重を落としきれず、試合前日の計量直前まで体を絞る作業を余儀なくされた。体に負荷が掛かりすぎ、計量後のリカバリーにも苦しんだ。その結果、アジアの大会で準決勝敗退。決勝に進むこともできなかった。

「あんなに直前まで体重を落とせなかったことは今までなかった。初めて減量に失敗しました。そこから食生活の意識が変わりました。いくら良い練習を積んでも全てが台なしになるんだと、あの負けで感じたので、自分で勉強し始めました」

和食中心、朝夕の意識改革で落ちた体重

体重を計画的に落としつつ、高タンパクなモノを摂取して筋肉は保持しなければいけない。大好きな肉を減らし、脂肪がつきにくい魚が中心の和食生活に切り替えた。食品の栄養成分表の本を買い、どの魚が栄養が高いか、脂が多いかを学んだ。

「量を食べられない分、少しでも良い物をという意識になりました。油はオリーブオイルを使い、砂糖もきび砂糖や茶色い砂糖。なるべく体に良くて自然なモノを…となりました」

敗れたアジア大会直後の全日本選手権48キロ級で優勝し、昨年の同級覇者でもある妹の真喜子さん(右)と号泣する小原さん(2010年12月22日)

朝ご飯をしっかり取ることも心がけた。2011年に康司さんと結婚して食事の準備は自身でしていたが、練習との両立が難しく、朝は簡単に済ませることが多くなっていた。

そこで、五輪が開かれる翌12年には母万理子さんが単身で世話しに訪れてくれた。卵や納豆、ソーセージなどしっかりした朝食と、たまにお弁当もつくってくれた。八戸に残る父清美さんはツボダイなど地元の白身魚を送ってくれた。

「朝しっかりと栄養があるものを食べるようになってから、逆に体重が落ちやすくなりました。朝ご飯は1日の活力にもなるし、全く食べない状態で昼にたくさん食べてしまうと脂肪がつきやすいんです。朝ご飯はすごく大事だと感じました」

夕食への意識も変わった。減量のために糖質を控えて、夜は白米を全く食べない方がいいと思っていたという。だが、少しでも糖質を取らないと筋肉に悪く、筋肉量を減らしてしまうことを学んだ。以来「夜でも必ず、茶わん半分ぐらいは食べるようになりました。ご飯は最後の方に食べるという順番だけ心がけて」。

減量あるある「体重計」と女性特有の問題

減量を強いられる選手は大抵、体重計が嫌いだ。ちょっと軽くなっているであろう練習後なら乗ってもいいが、練習前なんて見るのもイヤ。それが「あるある」だったが、その意識も変えた。

「朝、必ず量るようにしました。自分が今どれだけ体重があるかを知ることで意識が変わりました。朝の体重で、今日はどれくらい食べるかを決めたんです」

当時の計量は試合前日。リカバリーの猶予があった。小原さんの場合は一晩で5キロ近く戻る。そこから試合中の体重を計算して、常時52キロ台をキープするように心がけた。

「試合で戦う体重は52・5キロくらい。体重が1、2キロ違うと、足の軽さが全然違います。普段から試合をする体重で練習しようと、食事で52キロぐらいをキープするようにしました。残り4キロは1週間ほどで水分を落としていきました」

ロンドン五輪の閉会式でレスリングとバレーボールの選手で記念撮影。左から伊調馨さん、竹下佳江さん、浜口京子さん、小原さん、佐野優子さんら(2012年8月12日)

2010年の現役復帰時、17%ほどあった体脂肪は五輪直前には1ケタ台にまで追い込んでいた。その影響で月経が止まった。全くホルモンが出ていない状態になり、将来子供が産めなくなるかもしれないという不安もあった。

「そういう面でも、長くは続けられないと思いました。本当にロンドン五輪限りだなと。特に五輪の年は、ギリギリのところでやっていました」

必要ない「完璧さ」、我慢とたまに息抜き

過酷な減量生活。大好きなチョコやアイスクリーム、ケーキなども断って、その一口を我慢してきた。ただ、その日の体重の減り具合によっては、自分にご褒美をあげることもやってきた。

「全て我慢してしまい、ストレスをためてしまうと本当に長続きできない。たまには息抜きもしないと続けられないと思いました。張り詰めて『完璧でなくちゃ』と思いすぎると、どこかで爆発してしまいます。何でもかんでも我慢してストレスをためることが一番良くないです」

ロンドン五輪の表彰式で誇らしげに金メダルを掲げる小原さん(2012年年8月8日)

決して追い込みすぎず、ため込みすぎない。かつての自分を振り返り、教訓が生かされていた。それでいて、我慢するところは何がなんでもする。父と母、妹と夫。1人ではなく、家族とともに乗り越えた2年間。その集大成がロンドン五輪で結実した。長く、暗く、険しい道のりだったから、金メダルは何よりも輝いて見えた。

早寝早起き、1日3食、大切な“当たり前”

今、小原さんは後進の育成にあたっている。2014年に長男悠陽(ゆうひ)くん、16年に長女風利(ふうり)ちゃんを出産した後、18年4月からは自衛隊体育学校で女子レスリングのコーチを務めている。

「子供たちは4月から小学1年生と年中になりますが、『これを食べちゃダメ』とか『お菓子はダメ』と制限することはほとんどないです。上の子はおなかが少し出ているんですけど(笑い)でも、特に『食べすぎだよ』とは言いません。いずれ自分で分かるでしょうし、小さいうちは、とにかく自分が好きなものを。ただ(必要なものは)親が仕向けて食べさせないといけないなとは思っています」

長男は週1回レスリングに取り組み、長女も“まねごと”をしているという。しかし、同じくレスリング選手だった康司さんは女の子とあって風利ちゃんにだけは「絶対やらせたくない!」と拒絶しているとか。そんな夫を笑って見つめる小原さん。子どもたちと同様に、自衛隊体育学校の選手たちにも自主性を促している。

「1から10まで教えるのではなくて、自分で考えることも必要。自分で考え、自分で行動し、自分で何でもできる選手を育てたい。自立した選手を育てるのが目標です」

長女風利ちゃん(左)に食事を与える小原さん

壮絶な経験は、多くの人たちの指標となる。減量に苦しむ選手たちへ、こんなアドバイスを送った。

「減量するにしても体をつくるにしても、和食が1番良いなと思います。なおかつ1日3食食べて、早寝早起きすることが、体作りには一番です。遅くまで起きて、遅くまで食べていると朝、全然食べる気がしないですよね。当たり前のことがなかなかできていなかったので、そこを本当に感じました。

選手時代は、1人暮らしのときは外食や出来合いのモノで済ますことがすごく多い時期があって、そういうときは体もそうだし、気持ちもマイナスになることが多かったと思います。しっかり調理して自然のモノを食べることが体のエネルギーになる。特に子供がいるときは、親が作って食べさせて、大人になったら自分で調理して、自然のモノを食べることがすごく体には大切。当たり前のことをしっかりやるというのが大事だと思います」

【アスレシピ編集部・今村健人】