各界のプロフェッショナルの子ども時代や競技との出会いなどに迫る「プロに聞く」。今回はプロレスリング・ノアの矢野安崇(20)。昨年10月に同団体では18年の岡田欣也(28)以来、2年ぶりの新人としてプロデビューした。小学生からの夢だったプロレスラーを初志貫徹で実現した。家族からの理解やデビューまでの道のり、初勝利への意気込みを聞いた。

1割未満の狭き門を突破したデビュー戦

昨年10月、楽しみにしていたプロデビュー戦は、わずか5分で岡田に完敗した。矢野は観客の大きな拍手を受けて入場。166センチ、74キロの小柄な体でフライングボディアタックこそ決めたが、岡田の容赦ないエルボードロップやミドルキックを浴び、リングに沈んだ。「全然まだまだ。コーナーやロープに振ったりとリングをうまく使えていない」と力の差を痛感させられた。ただ、両親からは「本当になると思っていなかった。おめでとう」と喜ばれ、兄は観戦に来てくれた。

コーナーポストから大原はじめ(手前)にフライングボディアタックを決める矢野安崇(2021年2月24日)
コーナーポストから大原はじめ(手前)にフライングボディアタックを決める矢野安崇(2021年2月24日)

プロレスラーになりたいという夢を持ったのは小学生の頃。ゲームや映像を見て興味を抱いた。友だちに動画を見せて技をかけた。小柄ながら体は丈夫で「腕相撲は強い方だった」と振り返る。小6時に両親に打ち明けたが、なかなか理解されなかった。

母からは「すぐに(夢は)変わるだろう」と言われた。夢をかなえるため、兄のダンベルを借りてひそかに特訓を重ねた。中学時代は陸上部に入った。近隣の高校のレスリング部へ参加も並行して考えたが、半信半疑ながら応援してくれた父からは「基礎体力をつけてから」と促され、体作りに集中した。

高校では夢への第1歩としてレスリング部に入部。全国総体出場の実績も残した。大学進学や企業就職の道もあったが、回り道になると判断してやめた。プロテストは卒業前の19年3月。落ちると後がない中、見事一発合格。それでも、家族からは「まだデビューしたわけじゃない」と心からの祝福は得られなかった。

ドロップキックを浴びせる矢野
ドロップキックを浴びせる矢野

合格後は入門に備え、たくさん食べて練習も積んだ。自信もあった。しかし、入門後は1日2時間の基礎練習にさえ、苦しんだ。「これだけやってもダメなのか」。腹筋、ブリッジ、スクワット…。プロテスト時の倍以上の量に自信は打ち砕かれた。「本当に続くのかな」。新人扱いはされず、味わったことのない筋肉痛でフラフラになりながら道場へ通う毎日。上京して電車の乗り方も分からず、生活習慣の違いにも悩まされた。食事も喉を通らず、80キロだった体重は数カ月で68キロに。ホームシックにもなった。それでも逃げなかった。幼少時からずっと追い求めてきた夢。道場では筋トレ、リングでは先輩との練習で技を盗み、持ち帰って研究した。

入門から1年7カ月後、ようやくプロとしてリングに立った。1年以内でデビューする選手もいるが、ノアの関係者によると「入門後プロデビューできるのは1割未満」という狭き門。矢野は「聞いたときは泣きそうなくらいうれしかった」。家族に夢を打ち明けてから約8年。ようやく理解された瞬間だった。ただ、これまで20試合以上に出場し、シングルは(3月14日時点で)12試合戦って未勝利。さらにコロナ禍もあり、愛媛の両親には勇姿を見せられていない。

パンチを見舞う矢野
パンチを見舞う矢野

矢野 勝利した姿を見せて、中途半端じゃなかったことを伝えたい。自分の人生なので後悔しないように今でも生きている。地元凱旋(がいせん)も楽しみ。

レスラーを目指す子どもたちには「避けたりせず、技を食らっても、最後に勝つのが醍醐味(だいごみ)。自分の体をコントロールすることが大事。くじけることもあると思うけど、最後に笑えたらいい」。プロレスにも、自分の人生にも真っすぐ向き合ってきた20歳のルーキーは「ジュニアの顔になりたい」という次なる夢に向かい、リングに立ち続ける。【松熊洋介】

◆矢野安崇(やの・やすたか) 2000年(平12)8月10日、愛媛県生まれ。中学時代は陸上部、今治工時代はレスリング部に所属し80キロ級で総体出場。19年3月にノアに入門。20年10月28日、岡田戦でプロデビュー。目標とする選手は鈴木鼓太郎。家族は両親と兄2人、姉2人、弟1人。

(2021年3月20日、ニッカンスポーツ・コム掲載)