食べる量は強制しない
引き継がれる伝統の中にも変化はある。現在は、食べる量の目安は指示するが、強制はしない。寮の夕食も、選手たちには上下関係なし。仲良く会話を交えながら、笑みがこぼれる。
ご飯がすすむ母の味
「今日の練習はどうだった?」。選手に話しかけるのは、寮の食事を担当する茶木和未さん(42=茶木圭介野球部顧問、女子硬式野球部監督の奥様)。メニューは調理長が作成し、それを、和未さんはじめ、朝・昼・夜のスタッフが調理。肉類を中心に、大きなお皿にたくさんの品数が並ぶ。
スタッフのほとんどが主婦で、味付けは母の味に近い。和未さんは「親元から離れて生活している子供が多いですからね。私たちは親にはなれないけど、少しでも温かさを感じてもらえたら」と話す。
主将の藤原潤外野手(2年)も「夕食は肉中心のメニューなので、ご飯がすすむ。おいしいですよ」と大好評。選手たちは自主的に食事と向き合い、入学から平均で10キロ以上も体を大きくする。
どこに行っても通用するような選手に
駒大苫小牧は、07年以来、夏の甲子園から遠ざかっている。「僕は欲張りなので、常に甲子園で優勝したい。でも、選手の9割は大学に進学しますから。その先でカルチャーショックだけは受けないように。どこに行っても、通用するような選手を育てていきたい」と佐々木監督。
甲子園に再び駒大苫小牧旋風を。今、選手たちは寒い冬に、どんぶりご飯でたっぷりと底力を蓄えている。
佐々木監督も食べて大きく
佐々木監督が食育の伝統を引き継ぐのは自身の体験に基づく。「僕も入学当初は62キロでガリガリ(身長177センチ)でした」。補食と夕食のどんぶり飯。その成果を実感したのは2年夏だった。ケガで全体練習から外れ、食事と体作りに徹した。「わずか1週間で別人。ケガが治って復帰したときには10キロ増えて73キロになっていたんです」。
1年秋の大会で2番だった打順は、夏の大会では3番に。立派な「主砲」に成長し、甲子園出場。周りの選手を見渡し「俺たち、体の大きさでは負けていないね」と選手同士で話し、胸を張った。自信をつけた選手たちは「食べること」「体作り」の重要性を知り、率先して食事やトレーニングに励んだ。
そして、翌年夏には、北海道勢初の全国制覇を成し遂げた。最近、佐々木監督の1年時を知るOBに「お前らが優勝できるなんてこれっぽっちも思わなかった。だって1年の頃はガリガリのモヤシばっかだったじゃん」。そんな思い出話に、皆で笑った。【保坂淑子】
◆佐々木孝介(ささき・こうすけ) 1987年(昭62)1月10日生まれ。駒大苫小牧では内野手・主将として04年夏、北海道初の甲子園制覇を達成した。駒大卒業後の09年に母校のコーチに就任し、同年8月から監督。社会科教員。
◆駒大苫小牧 1964年(昭39)創立の私立校。野球部も同年創部で、甲子園は過去、春4度、夏7度出場。夏は04、05年に連覇、06年は決勝再試合で準優勝。OBに田中将大(ヤンキース)。橋本聖子五輪担当相も同校卒業生。所在地は北海道苫小牧市美園町1の9の3。
(2020年2月24日付、日刊スポーツ紙面掲載)