アジア初開催となる、ラグビーW杯日本大会が9月20日に開幕する。史上初の8強進出を目指す日本代表は世界ランクも歴代最高タイの9位に上昇。期待が高まる中、主将を務めるのは、15年イングランド大会でチームを歴史的3勝に導いたリーチ・マイケル(30=東芝)。15歳でニュージーランドから来日し、15年。「日本で学び、育った」と言い切る男に、自身3度目のW杯への思いを聞いた。

日本への思い、ラグビー日本代表への思いを静かに語る主将でフランカーのリーチ・マイケル(撮影・狩俣裕三)

あふれんばかりの闘争心と情熱。ピッチでこれでもかと体を張る姿は、ジャージーを脱ぐと一変する。リーチは、話す相手の目をじっと見つめ、美しく、丁寧な日本語で思いを伝える。言葉は多くない。だが、まっすぐなその人柄に、人が集まっていく。ニュージーランドで15年、日本で15年。「日本で成長した」という思いが、運命的なタイミングで迎える自国開催のW杯へ、体を突き動かす。

「僕は日本でラグビーを教わり、日本でうまくなった。15年、15年の節目の年にその日本でのW杯に出られるのは特別なこと。日本人のメンタルは一番強い。今回の大会で、それをもう1度世界に示したい」

インタビュー中も思い付いたことを秘密ノートに記す(撮影・狩俣裕三)

一足先に札幌山の手高に留学していた幼なじみの誘いを受け、03年に来日。恩師である佐藤幹夫監督から「将来マイケルが主将になって、日本代表を強くしろ」と言われ続けた。

来日時177センチ、76キロの細身の少年は、毎晩バターを塗った食パンを8枚食べ、2年時には95キロ、3年時は100キロになった。初めて覚えた日本語は、佐藤監督の娘が小学校時代に使っていた教科書に載っていた「たんぽぽ」。東海大、東芝と日本でプレーし続け、13年に日本国籍を取得。日本文化の中にもヒントを探し、世界から認められる選手へ成長を遂げた。

「日本は面白いし、深い。例えば大学時代に授業であった柔道。子どもの頃にニュージーランドでやった時は、練習が終われば、かばんにぐちゃぐちゃの状態で胴着を入れていた。でも日本は違う。きれいに畳む。初めて見て、格好良いなと思った。大事なのは細かなところまで意識し、適当をなくすこと。それは、体の小さな日本ラグビーの武器になる部分でもある」

言葉の1つ1つに日本への強い愛情がにじみ出る(撮影・狩俣裕三)

来日前、ニュージーランドの自宅で日本からの留学生を受け入れ、そのラグビー技術の高さに驚かされた。一方で、代表レベルでは日本は長く、世界から後れを取っていた。「こんなにうまいのに、なんで日本代表は弱いんだろう」。幼少期に感じた素朴な疑問は、リーチが日本代表として戦う原動力にもなっている。

「自分の中で変わることがないモチベーションは、『日本はラグビーがうまい』と世界に証明すること。海外でプレーしていて、『弱い』『タックルができない』と日本が見下される度に、ナイフで刺されるような気持ちだった」

そんな世界の目を一変させたのが、「スポーツ史に残る番狂わせ」と評された15年W杯の南アフリカ戦だ。3点を追うラストワンプレーで、主将のリーチが同点狙いのPGではなく、スクラムを選択。日本の歴史的勝利をたぐり寄せた。

「『日本やるな』って。あの試合で、世界中の選手の見る目が変わった。自分は日本で育った選手。だからこそ、認められたことが本当にうれしかった」

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