リオデジャネイロ五輪が終了しましたが、9月7日からは同じくリオで障害者スポーツの祭典、パラリンピックが開催されます。障害者アスリートの栄養指導はどういったものか-20年前から、主に車いす競技の選手の栄養指導、研究を続け、食事をサポートしてきた管理栄養士、東京家政大ヒューマンライフ支援センターの内野美恵准教授(49)に話を聞きました。

優しいまなざしでパラリンピック選手への思いを語る内野さん
優しいまなざしでパラリンピック選手への思いを語る内野さん

-障害者選手のサポートは健常者とどう違うのか

 栄養バランスやパフォーマンスに応じた摂取タイミングが重要な点は変わりません。ただし、障害や損傷の部位や度合いによって個々の身体の状態が異なるので、個人面談を繰り返し、必要エネルギーの設定等についてケースバイケースで取り組んでいます。

-部位や損傷によって違うとは

 基礎代謝については、脊髄損傷でも腹筋が残っている人は健常者の約10%ダウン、頚椎損傷者では約20%ダウンという研究結果が多いので参考にしています。しかし、必要なエネルギー量や栄養量を推測するのは簡単ではありません。

 最初に驚いたのは練習中、「汗をかいただろうから水分補給して」と言ったら「俺、汗かかないから」と言われたこと。自律神経にダメージを受けると、関連する部位は汗をかけないんです。健常者の「普通」が通用しない世界だと衝撃を受けました。彼らは体温を下げるために、氷嚢を当てたり、体に霧吹きで水を吹き付けて団扇で仰ぐなどして、物理的に身体を冷ましたりしていたのですが、食べ物で冷やせないかとスイカや梨を食べてもらうなど、いろいろ試しました。誰かと同じ、ということがないので、その後も一人一人と向き合って、一緒に考えていこうねというスタンスで、ずっときています。

-障害者向けのメニューなどはあるのか

 胃腸障害がある人には、消化に悪いものは食べないよう指導しますが、結果的には何を食べても大丈夫な人が勝つんです。「海外で戦うなら何を食べても大丈夫な胃腸を作れ、食べられるようになれ」と、実はかなり厳しく、スパルタ指導してきました(笑)。

 大会で最高のコンディションに整えるための指示は具体的に出します。長時間、飛行機での移動は彼らにとって非常に身体の負担が大きいので、飲み物は抗酸化成分を含む100%のオレンジかトマトジュースにしなさいとか。また、現地到着するとすぐにトレーニングしたがるのですが、環境の変化によって免疫力が落ちやすいので、2日間は様子を見させます。

-厳しい指示を出せるのは信頼関係のたまもの

 まずは、そういう人間関係、コミュニケーションを築くことが大切です。選手のやる気を引き出すような声がけ、働きかけはします。継続して実践すれば、必ず変化が表れるので、選手はさらにやる気が生じます。すると、また新たな疑問が生まれ、次のステップに進むといういいサイクルとなります。

ロンドン選手村のパラリンピックシンボルマークの像の前で、両手を挙げる内野さん(本人提供)
ロンドン選手村のパラリンピックシンボルマークの像の前で、両手を挙げる内野さん(本人提供)

 一方、やらない選手には無理にやらせません。今はそのタイミングでない選手もいますし、チームにも影響するので、全体の雰囲気を見ながら声がけします。ただ、仲間が食生活改善で成績を伸ばしたり、肉体が変わったりするのを間近で見て、意識を変える選手も少なくありません。そういった時にいつでも相談できる、そばにいる存在でありたいと思っています。

-サポートする選手の生活形態は

 1人暮らし、家族と同居、夫婦2人暮らしとさまざまです。最近は育児と両立させている女子アスリートも増えています。食事のサポートなので、もちろん家族への協力依頼もしますが、結局は本人次第。選手が意識改革すれば、周りも支えてくれます。最終的には、選手自身が自分の身体と向き合って体調を判断して、補正できるように育てる、アスリートとして自立してもらうのが目標です。

-なぜ障害者スポーツに関わることに

 大学院ではEPAやDHAといった魚の脂の研究をしていました。その間、日本で初めて障害者アスリートを紹介する雑誌「アクティブ・ジャパン」(1999年休刊)を見て、この世界に惹かれました。元々スポーツ栄養に興味があったので、車いすの陸上チームがボランティアを募集していることを知り、管理栄養士のボランティアでも良いですかと問い合わせ、関わりができました。

 1995年のことです。当時はスポーツ栄養の黎明期で、障害者スポーツの栄養に関する研究データもましてや基準などなく、完全な手探り状態でした。チーム内では、選手の身体形態や体脂肪など、あらゆる数値を計ったり、考えられることをすべて試したりして、自分の中で1つ1つ積み上げてきました。

-障害者スポーツと栄養の関係を確信したのは

 98年の長野パラリンピックでは、アイススレッジスピードレースのチームをサポートし、日本勢はこの種目だけで33個のメダルを獲得という大活躍でした。金銀4個のメダルを獲得した土田和歌子選手や、世界記録で金メダルを獲得した松江美季選手らスター選手が生まれましたが、結果を残した選手はみんな、トレーニング、メンタル、栄養、休養というコンディショニング調整がしっかりできた選手ばかり。そのとき私の中で、こういう(栄養)サポートは必ず好結果を生むというエビデンス(根拠)ができました。

かつてサポートした土田選手は2016年2月の東京マラソンで優勝し、リオ大会にも出場する
かつてサポートした土田選手は2016年2月の東京マラソンで優勝し、リオ大会にも出場する

-本部役員としてパラリンピックに帯同した

 96年アトランタ大会の陸上代表選手合宿に帯同しました。2000年シドニー大会は車いす陸上チームに、08年北京、12年ロンドン大会は日本チームの本部役員として現地入りしました。

-パラリンピックをめぐる環境が変わっている

 20年前は障害者スポーツの定義も曖昧で、周りからは「障害があるにもかかわらず、スポーツを頑張っている」と見られていた時代。その後、スポーツ基本法が制定されて障害者スポーツが競技として定義されたり、パラリンピックが、オリンピックと同等の扱いになっていく過程で、知名度が高まりました。今では障害者スポーツは、健常者と同じく文部科学省スポーツ庁の管轄となり、東京大会に向けてさらに強化策を受けられると思います。

 その反面、課題も増えました。認知され、支援企業や団体が増え、雇用環境が恵まれてきているように思えますが、格差も広がっています。アスリートとしての道徳的教育や社会性を教えることも必要になってきています。

-今回のリオデジャネイロ大会は国内で観戦

 ここ2大会連続で本部役員となり、全体を見なければならない役回りだったので、個人と向き合う時間が減っていました。今は、もう1度初心に戻り、選手個人に向き合いたいと思っています。

-あらためて障害者スポーツの魅力と今後について

 障害スポーツは、人間の肉体の限界に挑み続けるトライアルだと思います。不自由さを知っているからか、人の痛みが分かる選手が多く、心のバリアフリー社会がそこにあります。その何とも温かく、居心地のいい世界にのめり込んでしまいましたが、知れば知るほど未知なことが多く、不思議な世界でもあります。だからこそ、今後もサポートと研究を続けていきたいですし、選手に寄り添える存在でありたいです。