厳しい冬の練習を、お母さんたちの愛情たっぷりの炊き出しが支えている。

ある日曜日、日立一(茨城)の選手たちが元気に打撃練習をする傍らから、いい匂いが漂ってきた。バックネット裏に設置されたガスコンロの周りでは、エプロン姿のお母さんたちが歩き回る。大きな鍋いっぱいの豚肉を、グツグツ煮込んでいた。選手たちの練習をチラチラと目で追いながら、手元は炊き出しの作業に忙しい。

食欲が増すように、ネギ、ニンニク、ショウガなど、薬味が隠し味。体もポカポカに温まる
食欲が増すように、ネギ、ニンニク、ショウガなど、薬味が隠し味。体もポカポカに温まる

この日のメニューは豚丼。「うちはこれを入れるわよ」「焼き肉のタレはどう?」「もっとショウガを入れた方がいいんじゃない?」。それぞれの意見を出し合い、薬味のチューブをギュー。各家の“母の味”が凝縮され、最後は「これでバッチリ!」と、最高の豚丼が完成した。主将の石原俊介捕手(2年)は「練習をしていて、お母さんたちが作る光景は目に入ります。食事のいい匂いも漂ってきて、今日は何を作ってくれているのかなぁ…と、ワクワクします」と笑顔で、炊き出しの列に並んだ。

豚肉は7キロ。25人分を調理する
豚肉は7キロ。25人分を調理する

ご飯は各自、タッパーに詰めて持参。たっぷりの野菜と煮込んだ豚肉をのせてもらい、豚丼が完成
ご飯は各自、タッパーに詰めて持参。たっぷりの野菜と煮込んだ豚肉をのせてもらい、豚丼が完成

保護者も戦力に加え組織を作った。炊き出しをはじめ、食育に取り組むきっかけは、中山顕監督(51)の前任校、水戸一だった。県内トップを誇る進学校を鍛え上げ、07年秋、準々決勝に進出したが、東洋大牛久と対戦し2―4で敗退。捉えた打球が、外野の頭を抜けていかない。守備面でも追いついたはずの打球が、体を制御できずにミスをする。強豪私学との壁を痛感した。「明らかに自分たちはフィジカルが足りないと実感したんです。それまでは勉強のできる子たちを乗せて戦っていた。でもそれには限界がある。フィジカルを高めていかなければ、頭を使うところまでいかないんだと痛感しました」。

豚丼を頬ばる選手たち。「おいしいです!」と大好評
豚丼を頬ばる選手たち。「おいしいです!」と大好評

肉料理は選手たちに人気。他にカレーやけんちんうどんと、選手の好みに合わせたメニューも作る
肉料理は選手たちに人気。他にカレーやけんちんうどんと、選手の好みに合わせたメニューも作る

07年、選手の食事指導を手掛ける株式会社コーケン・メディケアに依頼し、食育の講習を行った。「保護者を巻き込んでいいものだろうか」という中山監督の心配をよそに、保護者の反応はよく、意見も活発に飛び交った。「もっと早くやればよかった。私の思い込みで保護者と距離を置いていた。1歩踏み込む勇気がなかったんです。力は借りるものだと考え方が変わりました」。高校野球の力をあらためて痛感。11年に日立一に赴任後も、継続して食育に取り組んできた。

冬場に炊き出し導入、選手の意識も変化

全員で同じ釜の飯を食べることで、チーム力も高まる
全員で同じ釜の飯を食べることで、チーム力も高まる

12月から3月上旬までの約3カ月間は対外試合が禁止されているため、保護者もなかなかグラウンドに来る機会がない。「子どもたちが1番成長する時。炊き出しで、日ごろの練習で子どもたちが努力する姿を見ることもできて、子どもたちに関わることもできる。会話のきっかけにもなるでしょう」と、炊き出しを導入。お母さんたちの姿を見て、お父さんたちも「何か力になれることがあれば」と、グラウンドの設備の修繕などを手伝ってくれるようになった。「今では保護者の方々も、大事な戦力です」と中山監督。食育が「チーム日立一」を作り出した。

この日参加したお母さんは18名。当番制でひと冬、2回ほどまわってくる
この日参加したお母さんは18名。当番制でひと冬、2回ほどまわってくる

女子マネジャーは、みそ汁を調理。平日は補食のご飯も炊く
女子マネジャーは、みそ汁を調理。平日は補食のご飯も炊く

選手たちの意識もみるみる変わった。現在は株式会社コーケン・メディケアに栄養管理を一任。月に一度は、栄養士さんが栄養分析をもとにミーティングを行う。その上で、中山監督が技術論、そして試合に勝つためのプロセスへと導く。選手たちは食べるものを常に意識。カロリーだけでなく、栄養素。産地まで意識する選手もいるほどだ。

食事を摂る工夫も手を抜かない。各自、目標体重が決められ、1日のお米の量も個人設定。保護者の協力を得て、1人、1日2000~2400グラムが目標。朝、お昼のお弁当、晩の食事の他に、間食のおにぎりを持参。平日は練習中にマネジャーが補食としてご飯を炊く。それぞれの体脂肪率により食事を摂る時間も工夫。石原主将は「自分は1日2500グラムのご飯を食べるのですが、体脂肪が多いので、朝、昼を増やし、夜食べる量を減らすようにしています」。脂肪になりやすい時間帯を避け、食事を摂っている。

タッパーに入れたご飯と、豚丼に、みそ汁。選手たちはペロリとたいらげた
タッパーに入れたご飯と、豚丼に、みそ汁。選手たちはペロリとたいらげた

この日のメニューから「カルシウムが足りない」と女子マネジャーが判断し、保護者に連絡。急きょ、チーズや小魚なども用意された
この日のメニューから「カルシウムが足りない」と女子マネジャーが判断し、保護者に連絡。急きょ、チーズや小魚なども用意された

自分たちで考えられるチームは強い

選手たちは、目に見えて成長している。中山監督は「芯や軸など、コアな部分がしっかりしていないと、バットやボールは扱えない。ずいぶんドッシリ感が出てきていると思いますよ」。体が強くなり、ケガをする選手が減った。技術も上がった。強豪私学と自信をもって堂々対戦できる力がついてきたと手応えを感じている。率先して食育に取り組むようになった選手たちに「自分たちで考えるチームは粘り強い。試合でも何かあるんじゃないか、そんな期待をもたせてくれますね」と、今からシーズンインが楽しみだ。

高校野球が終わると受験。大学で家を出るかもしれない。子どもに関われるのは最後と、お母さんたちも張り切って炊き出しを行っていた
高校野球が終わると受験。大学で家を出るかもしれない。子どもに関われるのは最後と、お母さんたちも張り切って炊き出しを行っていた

食育の真の目的は人生にもつながる。「突き詰めていくと、高校野球が終わってからの人生の方が長い。受験勉強はもちろん、その先、結婚して子どもが生まれた時にも生きるはず。その後の人生に生きて初めて教育。食育の成果だと思っています」。選手たちは食育を通して「生きる力」を学んでいる。

保護者の支えが、選手たちを大きく後押しする。同監督は「これはどこにでもある光景ではない。それくらいの価値があるんです」と、炊き出しをする保護者を見つめてつぶやいた。選手たちへの思いが詰まった食事が、最高の栄養となり、力と変わる。石原主将も「お母さんたちの炊き出しは『部活も勉強も目一杯やらないといけない』という気持ちにさせてくれる。感謝しています」と目を輝かせた。

先輩のお母さんたちから引き継がれた炊き出しノート
先輩のお母さんたちから引き継がれた炊き出しノート

メニューの他に、調理のコツなども書き込まれている
メニューの他に、調理のコツなども書き込まれている

「ごちそうさまでした!」「おいしかったです!」。グラウンドには選手たちの声が響く。あっという間に大きな鍋は空っぽ。お母さんたちの愛情たっぷりの食事をお腹いっぱいに食べた選手たちは、元気よく午後の練習に駆けだした。【保坂淑子】