<コロナに翻弄された人たち:2020年を振り返る>

今秋のプロ志望届提出者(NPBドラフト対象者)は、高校生215人、大学生158人と、ともに史上最多を数えた。多くの若者がプロを目指した一方で、プロに注目されながら、あえて志望届を出さなかった選手もいた。

2年夏、背番号17の履正社(大阪)岩崎峻典投手(17)は、同校初の全国制覇の瞬間をマウンドで迎えた。背番号1となった今年の夏は甲子園交流試合で、昨夏決勝と同じ星稜(石川)相手に9回1失点完投勝利。だが、エースに成長した岩崎はプロ志望届を出さず、大学進学の道を選んだ。

19年夏の甲子園決勝の星稜戦で7回途中から2番手で登板し、優勝投手となった履正社・岩崎峻典(2019年8月22日)
19年夏の甲子園決勝の星稜戦で7回途中から2番手で登板し、優勝投手となった履正社・岩崎峻典(2019年8月22日)

ドラフト指名の仲間3人を祝福しつつ…

今年のドラフトでは履正社から同校史上最多の3人が指名された。優勝時から三塁を守る左のスラッガー小深田大地内野手(17)がDeNA4位、この夏背番号10の内星龍投手(18)が楽天6位、同じく背番号8で6月から投手に転向したばかりの田上奏大(そうた)投手(17)はソフトバンクから5位指名を受けた。控え投手2人のプロ入りに岩崎は「うれしいのが一番ですよ。仲いいですし。2人は球が速くて体も恵まれている」と話した。内は身長190センチで最速148キロ、田上は身長185センチ、最速151キロ。2人は素材のよさをプロに認められた。

「僕だって少しずつですけど背が伸びているんですよ」。2年春に175センチだった身長は2年夏176センチ、3年夏178センチとなった。最速も148キロだ。「自分も負けていられない。体を大きくしないと。力をつけて2人より活躍できたら。4年後、ドラフト1位で即戦力として入ることしか考えていません」とハッキリ口にした。

19年夏の甲子園で初優勝を決め、ガッツポーズで駆けだす履正社・岩崎(2019年8月22日)
19年夏の甲子園で初優勝を決め、ガッツポーズで駆けだす履正社・岩崎(2019年8月22日)

センバツ中止で進学決断「日進月歩」へ

今春のセンバツで活躍しプロからの評価を高めるつもりだった。だが、新型コロナウイルス感染拡大で中止。「センバツがなくなった時に、大学に決めました。今の実力では通用しない。体の強さ、すべてのパワーが足りない」。東都に所属する大学への進学を希望する。「高いレベルでやりたい。大学1年から(試合で)投げたい」。大学でも即戦力になるため、現在は投球練習は行わずランニングや筋力トレーニングで体を鍛え続けている。「現役時代と変わらないくらいやっています。気を緩めている場合じゃない」と笑う。

岡田龍生監督(59)はドラフト指名された2投手と岩崎について「経験値は雲泥の差がある」と断言し期待を込める。「岩崎は修羅場をくぐっている。そこが強いところ。球速が上がって投球術も上がれば(プロの)可能性もある。答えが出るのは4年後」。甲子園などを経験してきたマウンド度胸は鍛えて身につくものではない。

岩崎は中学のころから「日進月歩」を好きな言葉にしている。日々絶えず進歩し、その度合いが急速という意味だが、岩崎も急速に成長してきた。「(2年夏に)背番号17だったのは、僕がベンチ入り4人の投手で4番手だったから。決勝戦で同点の場面で出してもらったのがうれしかったんです」。甲子園で実績を重ね信頼を勝ち取り、胴上げ投手となった。大学での4年間も日進月歩で、成長するつもりだ。志望届を出さなかったことをこう言える。「間違いじゃない。楽しみです」。その目は輝いていた。【石橋隆雄】

◆岩崎峻典(いわさき・しゅんすけ)2003年(平15)3月11日生まれ。大阪市出身。城北小1年から城北ユニオンズでソフトボールを始める。大宮中では大淀ボーイズ(硬式)。履正社では1年秋からベンチ入り。球種はカットボール、スライダー、カーブ、フォーク。178センチ、78キロ。右投げ右打ち。

(2020年11月25日、ニッカンスポーツ・コム「野球の国から」より)