<コロナに翻弄された人たち:2020年を振り返る>

バレーボール元女子日本代表で12年ロンドン五輪銅メダリストの新鍋理沙さん(30)の表情には、後悔の色は全くなかった。右腕のけがと向き合いながら、来夏の東京五輪で納得のいくプレーができるかどうかと悩んだ末に引退を決めた。今ではVリーグの解説を通じて、メダル獲得を目指す代表候補たちの姿を追い掛けている。

日本代表合宿で練習する新鍋理沙(2018年4月17日)
日本代表合宿で練習する新鍋理沙(2018年4月17日)

ケガの不安拭えず、誰にも相談せずに

引退から5カ月余りで生活は激変した。解説者として試合会場入りし、現役時代とは違う視点で試合を観戦している。「最近、久々にボールに触れたんですが、少しスパイクを打ったら肩が上がらなくなって(笑い)」。頬を緩ませうれしそうに語る口ぶりは、第2の人生を歩み始めた充実感でいっぱいだ。

東京五輪1年延期が決まったことについて「私にとって1年はとても長かったです」。春先に右手人さし指を手術後、リハビリ生活する中で「けが前のプレーに戻れるかという不安が拭えませんでした」。誰にも相談せず、惜しまれつつコートを去った。

ロンドン五輪準々決勝の中国戦で、スパイクを放つ新鍋理沙(2012年8月7日)
ロンドン五輪準々決勝の中国戦で、スパイクを放つ新鍋理沙(2012年8月7日)

当初は無責任な決断だったかとモヤモヤすることもあったが、五輪延期を受けて引退を決めたバドミントン女子の高橋礼華さんとの対談が転機に。同じ境遇をたどった者同士で、抱えていた葛藤や悩みを共有することで前向きになれた。

12年ロンドン五輪以来のメダル獲得を目指す仲間たちの活躍を生で見たいが「自国開催のオリンピックはドキドキが止まらないと思うので」と会場に足を運ぶのは遠慮するつもりだ。陰ながら見守りつつ、心の底から願う。選手たちがけがなく、ベストコンディションで大会に入ってほしいと。【平山連】

◆新鍋理沙(しんなべ・りさ) 1990年(平2)7月11日、鹿児島県霧島市生まれ。宮崎・延岡学園高卒業後、久光製薬スプリングス(現・久光スプリングス)に入団。22歳と当時最年少で代表入りした12年ロンドン五輪では、28年ぶりのメダル獲得に貢献。中田久美監督の下では、安定感のあるサーブレシーブで代表に欠かせない存在に。今年6月末に引退したが、解説者などで競技に携わっている。身長175センチ。

(2020年12月17日、ニッカンスポーツ・コム掲載)

【6月に引退発表】
新鍋さんは6月に現役引退を発表し、オンラインで会見を行った。当時は日本代表にも招集されていたが、東京五輪を待たずに決断。「けがと向き合いながら、1年後に自分の納得できるプレーをするのが難しくなった」と時折涙を流した。もともと東京五輪限りでの引退を決めていたという。だが、利き手の右手人さし指を手術した不安があった中で、新型コロナによる五輪延期が重なったことで「絶望。1年はとても長く感じた」と苦しい思いの丈を打ち明けていた。