<コロナに翻弄された人たち:2020年を振り返る>

トランポリン男子で08年北京五輪4位の外村哲也さん(36)が引退を決断したのは6月。「お金に見合った貢献がコロナ禍の1年でできるのか。実現が難しいと思った」と道を決めた。貢献の先は、所属先の不動産企業「アムス・インターナショナル」を主としたスポンサー企業。選手とスポンサーの関係の意味を誠実に見つめた結果だった。

北京五輪トランポン男子個人決勝で4位となり、悔しそうに頭を抱える外村哲也(2008年8月19日)
北京五輪トランポン男子個人決勝で4位となり、悔しそうに頭を抱える外村哲也(2008年8月19日)

常に考えていた「アスリートの価値」

「応援したいという気持ちをいただく、恵んでもらっているという感覚が強かった」。13年から社員採用してもらった。16年リオ五輪出場を逃した後も、支えてもらった。ただ、常に考えていた。「アスリートの価値とは何か。その対価をお返しできていない」と。

東京五輪の可能性は「1%」ながら、芽はあった。それでも、1年先は考えられなかった。体力、日本代表活動の束縛、収益源の確保などを鑑み、「やりたい競技生活を送れない。それは失礼」と退社を決めた。

価値を考えるきっかけは、12年ロンドン五輪出場を逃した時。当時の所属先から、選考会で落選したその日に契約解除された。自分が何を提供できるのか、その後に自ら支援先探しをする中で考え抜いた。父康二さんは84年ロサンゼルス五輪体操の銅メダリスト。物心ついた時から「五輪=人生」だった。この出来事で「五輪の先」の将来を考えるようになった。

元トランポリン日本代表の外村哲也さん
元トランポリン日本代表の外村哲也さん

「現役に未練はない。五輪の頂点という形でなくても、僕の夢は続いています」。今はトランポリンの普及が、人生の夢だという。ビジネススクールに通い、知識を学ぶ。「五輪は夢を表現する1つの手段でした。貴重な経験もさせてもらい、学んだことを伝えることもしていきたい」と、五輪の先を生きる。【阿部健吾】

◆外村哲也(そとむら・てつや)1984年(昭59)10月9日、東京都生まれ。日体大体育学部卒。体操の調整でトランポリンを跳んでいたが、小4から競技に転向。05年世界選手権個人銅メダル、11年同選手権団体優勝など。08年北京五輪で日本人最高位の4位。国際大会に64回出場し計36個のメダルを獲得。

(2020年12月17日、ニッカンスポーツ・コム掲載)