<コロナに翻弄された人たち:2020年を振り返る>

東京オリンピック(五輪)が1年延期されたことにより、五輪を断念した選手がいる。伸び盛りの選手なら「準備期間が延びた」と前向きにとらえることができても、ベテラン選手にとって、1年という時間はあまりに長かった。

リオデジャネイロ五輪バドミントン女子ダブルスで金メダルを獲得し、日の丸を掲げる松友美佐紀(右)と高橋礼華(2016年8月)
リオデジャネイロ五輪バドミントン女子ダブルスで金メダルを獲得し、日の丸を掲げる松友美佐紀(右)と高橋礼華(2016年8月)

16年リオデジャネイロオリンピック(五輪)で日本バドミントン界史上初の金メダルを獲得した女子ダブルスの高橋礼華さん(30)は、8月いっぱいで競技生活を終えた。

8月19日にオンラインで行った引退会見では「19年から五輪レースが始まってから、思うような結果を出すことができなかったし、レース中断だったり、その後、五輪が延期となったり、あと1年、自分の気持ちと体がもつのかなというのもあって、素直な気持ちを松友に話したら自分の意志を尊重してくれた」と涙ながらに語った。

会見には混合ダブルスで現役を続行するパートナーの松友美佐紀(28=日本ユニシス)も一緒に登壇し「高橋先輩、今まで本当にありがとうございました。感謝の気持ちでいっぱいです」と涙を見せた。

全国高校総体決勝で、息の合ったプレーで全国選抜に続く全国2冠を決めた聖ウルスラ学院の高橋礼華(右)松友美佐紀ペア(2008年8月2日)
全国高校総体決勝で、息の合ったプレーで全国選抜に続く全国2冠を決めた聖ウルスラ学院の高橋礼華(右)松友美佐紀ペア(2008年8月2日)

取り除けなかった不安、嫌った中途半端

タカマツペアは3月の全英オープンの準々決勝前に、その後の大会が中止となることを知った。

「最後になるかも知れないと思い、勝っても負けても悔いなく終わりたいと思っていた」。世界1位の中国ペアと1時間20分に及ぶ激戦を制した。

全英オープンから帰国し、自宅で隔離期間中の3月24日に、東京五輪延期の報を聞いた。その瞬間、戦うためのモチベーションがぷつりと切れた。「『もう、いいかな。私、頑張ったもんな』と。決して落ち込んだわけではないけれど、延期の知らせを聞いてすぐ引退を考え出した」。若手選手ならともかく、準備期間が延びたと解釈することはできなかった。

数週間たった後に両親に電話で心境を打ち明けた。母からは「もう1年頑張ってとは言えない。好きなようにしなさい」と言われて気持ちを固めた。体力的に限界ではなかったが、不安を取り除くことができなかった。「気持ちを持ち続けられるのか。やると決めたら金メダルしかない。中途半端は嫌だった」。

自粛期間が明け、所属先での全体練習が再開した初日、久しぶりにコートで汗を流しても決意が変わらないことを確認。翌日の練習前、パートナーの松友とタクシーで偶然2人きりになったとき、引退の意思を伝えた。

当時「全日本総合選手権女子ダブルス準決勝でオグシオに敗れたものの、今後への成長が期待される」と表現されていた高橋礼華(左)と松友美佐紀の女子高生ペア(2008年11月15日)
当時「全日本総合選手権女子ダブルス準決勝でオグシオに敗れたものの、今後への成長が期待される」と表現されていた高橋礼華(左)と松友美佐紀の女子高生ペア(2008年11月15日)

8月の会見では今後について「お客さんに楽しんでもらえるように、全日本総合やジャパンオープンなどで飲食を提供する場所を提供したい」と明かした。さらに後輩の育成については、自分たちが高校時代に全日本総合で4強入りしたことがその後の活躍につながったといい「ジュニア世代にとってこれから世界で戦うのに重要な時期。気持ちの持ち方など、メダリストの経験を伝えていけたらと思う」と話した。

宮城・聖ウルスラ学院英智高時代に、1学年下の松友とペアを結成した。14年10月には日本人初の世界ランキング1位に上り詰めると、16年リオデジャネイロ五輪で金メダルを獲得。バドミントンでは日本選手初の快挙だった。

リオ五輪後もトップに君臨し続けた。ただ、昨年4月末からの東京五輪選考レースでは準優勝4回でポイントは現在6位だが、日本人3番手。2枠の出場権を獲得するのは厳しい状況となっていた。

16年リオデジャネイロ五輪女子ダブルス決勝で打ち返す高橋(奥)と松友
16年リオデジャネイロ五輪女子ダブルス決勝で打ち返す高橋(奥)と松友

「前回が銀メダルや銅メダルならまた違ったかもしれないけれど、もうやり尽くしたなと。後悔はない」。すがすがしい気持ちだった。世の中がコロナによってこういう状況になっていなければ…といった思いは一切なかった。「運命というと大げさかもしれないけれど。もともと東京五輪が予定されていた今年8月に、出場できなければ5月末でやめようと思っていたので」。すべてをありのままに受け入れた。

引退会見を行ったのは、4年前に金メダルを取った8月19日。高橋は「スタッフの方が考えてくださったんだなあと。こういう日にできるのは幸せなこと。それほど金メダルは価値があるものなんだな」と改めて実感した。

その8月の引退会見から数カ月がたち、現役を退いたことを実感するようになったのは最近だという。久しぶりに代表選手と話をしたときに、「私は今は選手じゃないんだな。もう、“こっち側”なのかと感じた」と笑う。新しい生活も軌道に乗ってきた。今は講習会などで日本各地を飛び回り、充実した日々を送っている。後輩たちへのエールを、と向けられると、少し考え、伸びやかな文字で色紙にしたためた。目標に向かって-。

東京五輪出場選手へ応援メッセージを書いた色紙を手にパワーを送る高橋礼華さん
東京五輪出場選手へ応援メッセージを書いた色紙を手にパワーを送る高橋礼華さん

◆高橋礼華(たかはし・あやか) 1990年(平2)4月19日、奈良県生まれ。聖ウルスラ学院英智中-同高。高2で松友とペアを組み、3年でインターハイ優勝。09年4月に日本ユニシス入社。14年10月、日本勢初の世界ランキング1位。同12月スーパーシリーズファイナルで日本勢初優勝。16年リオ五輪金メダル、17年世界選手権銅メダル。妹の沙也加は同所属でシングルス日本代表。165センチ、右利き。

(2020年8月19日、12月17日、ニッカンスポーツ・コム掲載を修正)