<コロナに翻弄された人たち:2020年を振り返る>

「2020年甲子園高校野球交流試合」(8月10~12、15~17日、甲子園)の開催が6月10日に発表された。今春センバツに出場予定だった32校は、特別救済措置を喜んだ。21世紀枠で46年ぶりに出場予定だった磐城(福島)は、監督、部長らが3月いっぱいで転出する中、新たな目標を見つけた。

8月の甲子園交流試合について、渡辺監督(手前左)から報告を受ける岩間主将(右端)ら磐城の選手たち(2020年6月10日)
8月の甲子園交流試合について、渡辺監督(手前左)から報告を受ける岩間主将(右端)ら磐城の選手たち(2020年6月10日)

監督、部長、校長3人が学校を去り…

1度は完全に諦めた夢舞台が、今度こそ現実のものとなる。午後5時半、課外授業を終えた3年生が加わると、磐城の選手たちは練習を中断し三塁ベンチ前に集合した。渡辺純監督(38)から「甲子園で試合ができる。最高だな、たまんないな」と伝えられると、自然と笑みがこぼれた。岩間涼星主将(3年)は目を潤ませながら「もう甲子園に立てないと諦めていたけど、多くの関係者の方が、この厳しい状況の中、自分たちの思いを胸に動いてくださった」と感謝した。

2、3年生20人にとって、酷すぎる3カ月間だった。昨秋の東北大会では、初戦突破後に台風に見舞われるも2勝。8強で力尽きたが文武両道、地域貢献も評価され、21世紀枠で46年ぶりの選抜出場をつかんだ。しかし3月11日、大会は中止に。木村保前監督(福島商、高野連理事)、大場敬介前部長(千葉・旭農)が転出、阿部武彦前校長(いわき光洋)が定年で転任となる悲運も重なった。

「お世話になった3人を夏の甲子園に連れて行く」と目標を切り替え、約2カ月間の練習自粛中も、各自が近所の公園などで自主練習を続けた。夏の開催を信じたが、これも中止となり、今度も願いはかなわなかった。エース沖政宗投手(3年)は「僕の野球人生の95%が終わった」と漏らした。

笑顔を見せる磐城のエース沖政宗(2020年6月10日)
笑顔を見せる磐城のエース沖政宗(2020年6月10日)

進学校ゆえの難しさもあった。最大目標を失い、受験に切り替えようとする選手もいた。岩間主将は3年生全員に電話をかけ思いを伝えた。合同練習が再開した8日、グラウンドには全員の姿があった。「最後までやりきろうと、同じ方向に向かうことができてうれしかった」。この日、ついに朗報が届いた。

甲子園での1試合に全てをかける。沖は「もう1回ギアを入れ直し、最高の準備、最高の舞台を迎えたい」。岩間は「勝ちという結果で、支えてくれた人たちに恩返ししたい。はつらつとしたプレーで、今、暗い日本を、少しずつ明るくしていけたら」。感謝の思いを胸に聖地に向かう。【野上伸悟】

木村保前監督も笑顔でエール

甲子園交流試合の決定に、福島商に転任した木村保前監督も喜んだ(2020年6月10日)
甲子園交流試合の決定に、福島商に転任した木村保前監督も喜んだ(2020年6月10日)

前磐城監督の木村保教諭も交流試合開催を歓迎した。4月に赴任した福島商で取材に応じ、「センバツ中止から曇る話ばかり。私の異動や4月の練習再開後も休校で、全体練習ができない中で夏の大会中止が決まり、はい上がることができないほど苦しい日々が続いたと思う。あの子たちが心底うれしいお知らせをいただいたと思う。彼らのうれしい顔が浮かびますね」と笑みを浮かべた。

自身は転勤後、同校に事務局がある県高野連の副理事長に就任。高野連業務に従事するため、野球部の指導からは離れたが、現在は福島大会に代わる独自大会準備メンバーの1人として、開催に向けて尽力する。3月までノックバットを振った教え子たちには、「どんな形であろうと、球場で試合をやらせてもらえるのであれば、コバルトブルーのユニホームで躍動する姿を思いっきり発揮することを願っています」とエールを送った。【相沢孔志】

(2020年6月10日、ニッカンスポーツ・コム掲載)