<コロナに翻弄された人たち:2020年を振り返る>

東京オリンピック(五輪)で初めて正式種目に採用される空手。その“顔”ともいえる存在が女子組手の植草歩(28=JAL)。61キロ超級代表として金メダルを目指して日々の稽古に励むだけでなく、イベントやテレビなどの出演オファーにも積極的に応じ、競技の魅力を発信する役割も担ってきた空手界の看板娘。転機となったのは、公の場での「うそ」だった。

14年12月、全日本空手道連盟の会見で五輪での空手採用を期待してポーズをとる植草歩(左)と染谷香予
14年12月、全日本空手道連盟の会見で五輪での空手採用を期待してポーズをとる植草歩(左)と染谷香予

軽い気持ちで口にした「優勝します」

空手がまだ、五輪競技として正式採用される前のこと。“オリンピック入り”へのアピールの場として全日本空手道連盟が設けた会見に、当時は帝京大の空手部員だった植草も呼ばれた。非五輪競技による国際総合大会ワールドゲームズ(13年)で金メダルを獲得していたとはいえ、5年以上先の東京五輪で、競技を続けている自分の姿は描いていなかったという。卒業後は一線を退き、教師になる道を選ぶつもりだった。

それでも登壇前、ある連盟関係者から受けた提案を、植草は二つ返事で引き受けた。「『夢の舞台で優勝する』って言ってもらえない?」。詰めかけた報道陣を前に、軽い気持ちで、そのまま口にした。

「私は夢の舞台で優勝します」

さわやかな笑顔の写真とともに、そのせりふは翌日のスポーツ紙に大きく掲載された。予期せぬ反響。本心で口にしたのではありません…と撤回するわけにはいかず、その後も機会があるたび、同じ言葉を繰り返すことになった。やがて言葉に重みが増し、胸に自覚が芽生えた。

「あの言葉で魔法をかけられたかのように、どんどん自分が変わっていった。言って良かったと思うし、それを記事にしてもらって良かった」

カメラに向かって力強い中段突きをみせる植草歩
(2017年10月20日)
カメラに向かって力強い中段突きをみせる植草歩 (2017年10月20日)

社会人になっても競技を続け、15年全日本選手権で初優勝。その翌年には世界選手権も制した。メディアからの注目を力に変え、世界最高峰のプレミアリーグでは昨年まで3年連続年間女王の座を獲得。東京五輪代表に内定した際には、「あのときのうその発言が、今では明確な目標になっている」とうなずいた。

植草本人をはじめ複数の関係者によれば、当時、登壇前の彼女に耳打ちしたのは、連盟広報担当の井出将周氏だったという説が濃厚だ。しかしその井出氏は「記憶にないなあ」と、とぼけた口ぶり。「ただ、あのころの植草選手が(競技を)やめる、やめないと言っていたことは覚えている。センスも実力もあるのだから、東京五輪を目指せば良いのに、とは思っていた」と微笑む。

東京五輪開幕1年前を迎えた先日、植草は連盟を通じて談話を発表した。「来年、最高の金メダルを取りたい。日本中、世界中に空手の素晴らしさ、魅力を伝えて優勝したい」。その言葉はうそ偽りのない本心であり、21年8月7日に真実となるはずだ。【奥岡幹浩】

◆植草歩(うえくさ・あゆみ)1992年(平4)7月25日、千葉県生まれ。JAL所属。千葉・柏日体高(現・日体大柏高)から帝京大卒。16年に世界選手権を初制覇し、18年は2位。体重無差別で争う全日本選手権は15~18年に女子初の4連覇を果たした。世界最高峰のプレミアリーグでは17年から3年連続で年間王者に輝く。そのルックスから「空手界のきゃりーぱみゅぱみゅ」と呼ばれたことも。カラオケでは山本リンダの「狙いうち」を熱唱する。168センチ、68キロ。

(2020年8月7日、ニッカンスポーツ・コム「幻の20年夏」)