各界のプロフェッショナルの子ども時代や競技との出会いなどに迫る「プロに聞く」。今回はヤクルト中村悠平捕手(30)です。運命的な捕手というポジションとの出会い、扇の要として試合をつくる楽しみ、配球の考え方、プレッシャーとの向き合い方など学生時代の経験を振り返ります。プロ野球選手となった今、子どもたちへのアドバイスも送ってくれました。

プロ13年目を迎える中村。目標は「チームを勝たせられる捕手」だ
プロ13年目を迎える中村。目標は「チームを勝たせられる捕手」だ

野球の原点は、近所の田んぼだった。福井県大野市出身の中村は、田んぼに描かれたベースの上を走って、白球を追いかけていた。「物心ついた時には、スポーツといえば野球。ボールを投げること、打つことが楽しい、走ることが楽しかった」。サッカーにも興味を持ったが、説得に来てくれた友だちと一緒に、小5から下庄ファイターズに入った。

内外野の全ポジションを経験。楽しそうだなと一番やりたかったのは投手だった。でも、いざ投げてみると「ストライクが入らなさすぎて、クビになりました」と笑いながら明かした。チーム内で強肩だったこともあり、捕手出身の監督やコーチから「悠平を捕手にさせよう」という推薦があった。小5の秋、中村の野球人生のターニングポイントが訪れた。「投手の次に楽しいところあるかなと思って、それで捕手だなと思いました。防具を着けなくちゃいけないけどまあいっか、となりました」。それから捕手一筋となった。

小学5年から捕手一筋の中村。「どうやったら見逃し三振がとれるか」が捕手としてのテーマだ
小学5年から捕手一筋の中村。「どうやったら見逃し三振がとれるか」が捕手としてのテーマだ

捕手は、ボールを握っている時間が長いポジション。グラウンド全体を見て、試合の流れを読む。「捕手は、ボールをずっと持てるじゃないですか。ボールを捕って、投手に返す。常にボールに関わっているので、それが楽しくて楽しくて」。捕手の魅力に、すっかりはまった。

「どうやったら見逃し三振がとれるか」が、ずっとテーマだった。リード面の大変さはまったく感じることはなかった。陽明中野球部でバッテリーを組んだ投手は、直球とカーブ、スピードを落としたスローボールが持ち球。3種類の組み合わせでどう抑えるか、考えることも楽しかった。打者の心理を読んで、フルカウントから内角をズドンと突いて見逃しを奪う。「この打者をもてあそぶ、みたいな気持ちはあったと思います。打ち取った時もそれなりにうれしかったですけど、見逃し三振が一番気持ち良かったですね」。その瞬間の爽快感こそが、醍醐味(だいごみ)だった。「今思えば、相手の裏をかいていたということなんですけど。中学生の頃から、捕手のそういう考え方が染みついていたのかなと思います」。

高校時代を振り返り、子どもたちには「少しでも野球のための体作りを早い段階からしておくと、もっともっと自分の可能性を最大限に引き出すことが出来ると思う」とアドバイスを送る。進学した福井商は県内の強豪。「勝って当たり前」の雰囲気があった。1年秋から正捕手となり、常にそのプレッシャーとの闘い。練習試合でも、負ければ周囲の視線は痛かった。自分の指に、チームの勝敗がかかっている。「捕手がしっかりしないとチームが勝てない」と何度も言われた。

その重圧から、食事も喉を通らなかった。線が細かったため、大きくなろうと食事量を増やす努力もしたが、3年生になってからは自分自身との戦いに。「3年生で甲子園に出ないと意味がない」「プロになれなかったらどうしよう」。不安に押しつぶされそうな日々。「プレッシャーがけっこうあった。大会前も、大会中も。大会が終わってもすぐ次の大会に向けて、ずっと年がら年中プレッシャーがありました。だから痩せていました」。遠征先での食トレはきつかったが、最終手段はお茶漬けだった。

DeNA戦7回表2死二塁、左前適時打を放ちガッツポーズで喜ぶ中村(2021年4月1日)
DeNA戦7回表2死二塁、左前適時打を放ちガッツポーズで喜ぶ中村(2021年4月1日)

乗り越えられたのは、どうしても達成したい目標があったから。甲子園出場と、プロ野球選手になること。「プロに行くためには甲子園に出た方が絶対にアピールになるし、自分の評価を上げることにもなるとずっと思っていたので、何とかして甲子園に出てアピールしたいと」。見事に甲子園出場を果たし、08年ドラフト3位でヤクルトに指名された。

21年はプロ13年目シーズンとなる。チームは2年連続の最下位。子どもたちのためにも、強いヤクルトの復活を目指す。「やっぱり強いチームは、子どもたちが見てくれると思うんです。チームを勝たせられる捕手になりたい。強いチームの正捕手になりたいという気持ちが強い」。たくましくチームを支える姿で、思いを伝える。【保坂恭子】

◆中村悠平(なかむら・ゆうへい)1990年(平2)6月17日、福井県生まれ。福井商で甲子園2度出場。08年ドラフト3位でヤクルト入団。15年に自己最多の136試合に出場し、チームのリーグ優勝に貢献。同年ベストナイン、ゴールデングラブ賞。通算942試合、660安打、29本塁打、250打点、打率2割3分9厘(2020年時点)。21年は推定年俸9000万円。176センチ、83キロ。右投げ右打ち。

(2021年1月16日、ニッカンスポーツ・コム掲載)