各界のプロフェッショナルの子ども時代や競技との出会いなどに迫る「プロに聞く」。今回はDeNA坂本裕哉投手(23)です。19年ドラフト2位で入団してルーキー年で4勝を挙げた左腕。小学校時代に厳しくも温かい指導者の教えを受け、中学では温厚な指揮官の下、自主性を育みました。厳しさと自由さ、正反対の環境を経験したことが生きているようです。

力投する坂本裕哉(2020年6月25日)

坂本は福岡市西区出身。大学時代に野球部マネジャーだった母尚子(しょうこ)さんの影響もあり、幼少期から家族でソフトバンク戦を観戦していた。

坂本 母が和田(毅)さんが大好きで「和田になりなさい!」って、何回も家の鏡の前でシャドーピッチングをさせられてましたね。野球を習ってないときからです(笑い)。

玄洋小3年までサッカーをしていたが、友人の誘いで4年から地元の強豪、玄洋少年野球クラブへ。内村弘文監督に鍛えられた。

坂本 理不尽に厳しいわけではなく、野球を通して人間性を鍛えるというような。礼儀とか感謝の気持ち。人として大事なことを重んじる方でした。

入部当初から投手を任され、上級生の試合でも投げて「エースとしての心構え」も学んだという。

坂本 試合に負けると、帰ってダッシュを何十本もやるんですけど、全部、監督さんも一緒にやられるので、今考えるとすごい人だなと。でも、みんなで川遊びに行った時は、普段は厳しい監督が選手と一緒にスイカ割りとかで、おちゃらけていました。監督もこんな感じになるんだなって。

1年目で4勝をマークした坂本は、両親の温かいサポートにも深く感謝している

地元の玄洋中に進学し、小学校時代の仲間とともに軟式野球部でプレー。当時の鳥飼純二監督はとても温和で、ほとんど怒られたことはなかったという。

坂本 ギャップがすごかったですね(笑い)。本当に伸び伸びやらせてもらいました。練習メニューも僕とキャプテンに「お前らに何をするか任せるから、したいことをやっていい。チームが強くなるような練習を考えてやってくれ」と。打撃練習をたくさんやって、あとはノック。自分の投球練習はあまりやらなくて、試合の前の日とかに少し投げるくらいでした。

選手に練習メニューを考えさせるケースはままあるが、中学生ではまだ珍しい。坂本は「そりゃもう楽しかったです。とにかく考えて、みんな仲良かったので、楽しく野球をやっていました」と振り返る。“やらされる練習”ではなく、自分で決めたメニューに集中。3年時には九州大会で優勝。地元の強豪・福岡大大濠に推薦で合格した。

坂本 同学年にピッチャー6人が推薦で入って、硬式上がりのすごい選手も何人もいて、こんな中でやっていけないだろうという感じでした。1年の夏に2人がデビューして、悔しいスタートだったんですけど、1年秋に背番号1をもらってからは、ずっと投げさせてもらっていました。

立命大時代の坂本裕哉(2019年10月18日)

練習はハードだったが、小中と厳しさと自主性の中で培ってきた経験も生かされ、3年間を全う。その後、立命大からドラフト2位で夢の世界に飛び込むが、プロになれるとは思っていなかったという。

坂本 ドラフトにかかるまで自分がプロにかかるのかな? って感じ。名前を呼ばれるまでプロ行けるとは思ったことないです。

両親の温かいサポートにも深く感謝している。

坂本 父(幸久さん)はあまり口を出すことはなかったけど、小中高とほとんど全試合見に来てくれて、熱心に応援してくれたのは分かっていました。最初に野球を始めるときは渋っていたんですけど、なんとかやらせてもらったからには恩返ししたい気持ちでした。とにかく父も母も「あんたが楽しかったらそれでいいから」と言ってくれたので、ずっと恩返ししたいとやってきました。だからこそ、ここまでやれているのかなと思います。

厳しさと自由の中で育った少年は、感謝と恩返しの気持ちを忘れない青年に成長した。【鈴木正章】

◆坂本裕哉(さかもと・ゆうや)1997年(平9)7月28日、福岡県生まれ。福岡大大濠では1年秋からベンチ入りも甲子園出場なし。立命大に進学し、2年春のリーグ戦で初登板。4年春には初完封含む5勝を挙げて最優秀選手、最優秀投手、ベストナインの3冠。19年ドラフト2位でDeNA入団。プロ1年目の昨年は開幕ローテーション入りし、6月25日中日戦でプロ初登板初勝利。180センチ、85キロ。左投げ左打ち。

(2020年11月14日、ニッカンスポーツ・コム掲載)