遊びも運動も習い事も将来の役に立つ。ガールズケイリンでトップクラスの人気と実力を誇る高木真備(まきび、26=東京)は、子供のころからいつも体を動かしていた。竹馬、1輪車、クラシックバレエ、ハンドボール…。そのすべてが今に生きている。ガールズグランプリ(GP)で頂点を目指すヒロインに、過去、現在、そして未来の話を聞いた。【取材・構成=栗田文人】

ハンドボールで培った俊敏性をベース、ガールズケイリンで活躍する高木真備
ハンドボールで培った俊敏性をベース、ガールズケイリンで活躍する高木真備

-生まれは

高木 名前の由来にもなった岡山県倉敷市の真備(まび)町(※)です。田んぼがいっぱいあって本当にのどかな所。子供のころはとにかく外で遊んでいましたね。学校から帰ったらすぐに公園に行ってジャングルジムやブランコで遊んだり、川に行ってザリガニを捕ったり。父に連れられ、徒歩や自転車で丸1日の遠出もよくしました。小学校では竹馬や1輪車が好きで、信じられないかもしれませんが、足を掛ける所が自分の身長より高い竹馬に乗って何分でも歩けました。

-どうやって乗る

高木 塀の上とか高い所に登ってから竹馬に足を掛けるんですよ。1輪車にも夢中になっていて、文集に「夢は1輪車で世界一周」と書いていたぐらいです。その小学校も片道45分ぐらいかかる遠い所にあって、その間には長い階段もありました。今から思えばこの毎日の積み重ねが体力づくりに役に立ったのかな。3歳からクラシックバレエも習っていて、硬かった体に柔軟性がつきました。両親には感謝ですね。

松戸競輪場で練習する高木
松戸競輪場で練習する高木

-小4で東京に引っ越した

高木 中学からはハンドボールを始めました。理由は、私の入学した町田市立南中では部活の中でハンド部が一番強かったから。1チーム7人なのですが、キーパー以外はすべてやりました。学校では都大会2位、東京選抜ではJOC(ジュニアオリンピックカップ)3位になりました。ハンドは高校でも続けました。

-ガールズケイリンとの出会いは

高木 高3の時にガールズ1期生(102期生)がデビューして、テレビでドキュメンタリーを見たのが最初です。他競技出身でも選手になれるし、「これしかない」と思いました。ハンドを引退した7月から立川競輪場の愛好会で自転車を教わったのですが、競輪学校(現養成所)の試験は10月。時間がなかったので、めちゃくちゃ練習したら一発で合格できました。

-ここまで順風満帆というわけではなかった

高木 デビュー当時はなかなか勝てませんでした。でも「先行(先頭で風圧を受ける)して力をつける時期だ」と自分に言い聞かせていました。だからこそ今があると思っています。落車のケガや病気でレースに出られないこともありますが、休んでいる間に見えてきたものも多い。つらい時があったからこそ、今ある幸せを感じられるんです。

デビュー年の14年9月、京王閣バンクを走る高木
デビュー年の14年9月、京王閣バンクを走る高木

-ケイリンに向いている

高木 性格的に個人競技が合っていますね。ハンドをやっていた時に一番つらかったのは、自分のミスで周りに迷惑をかけること。それに中高ともに監督が怖くて怖くて…。その点、ケイリンはすべて自分の責任で結果が決まる。練習はうそをつきません。子供のころから体を動かすのが好きで、自分の意志がある人には向いていると思います。

-夢は

高木 デビューした時からガールズグランプリを勝って賞金女王になることが最大目標。今はそれに向かって日々頑張っています。

※高木は19年2月、岡山・玉野競輪での優勝賞金のほぼ全額となる47万円を、前年7月の西日本豪雨の被災地・倉敷市に寄付した。

◆高木真備(たかぎ・まきび)1994年(平6)8月17日、岡山県倉敷市生まれ、東京都町田市出身。文化学園大杉並高卒。ハンドボールで09年ジュニアオリンピックカップ3位。競輪学校(現養成所)106期生として14年5月に奈良でデビュー(52(2))。ビッグレース優勝はガールズケイリンコレクション3回(16年松戸、17年いわき平=ドリームレース、20年伊東)、ガールズケイリンフェスティバル(20年いわき平)。通算528戦309勝。昨年賞金ランキング2位。161センチ、63・5キロ。血液型A。ニックネームはマキビ、マキビーム。

(2020年10月3日、ニッカンスポーツ・コム掲載)