競馬には調教師という存在が欠かせない。馬に競馬をするということを教え、レースに出走させる。日本史上最多の芝GⅠで9勝を挙げて昨年引退したアーモンドアイを管理したのが、国枝栄調教師(65)。大学の馬術部から競馬界に飛び込み、厩舎を開業してから昨年までに932勝、重賞54勝という数字を積み上げた。アーモンドアイのほか、アパパネ、マイネルキッツなど名馬を育て上げた調教師の、出発点を探る。【取材・構成=三上広隆】

アーモンドアイの状態を確認する国枝栄調教師(2019年12月19日)
アーモンドアイの状態を確認する国枝栄調教師(2019年12月19日)

競馬を知らない人でも、アーモンドアイという馬名は聞いたことがあるだろう。史上最強の牝馬と言われ、現在競馬の最高峰であるレース、G1で史上最多9勝した名馬。そのアーモンドアイを管理して育てたのが、国枝調教師だ。

アーモンドアイは3歳のとき桜花賞、オークス、秋華賞の牝馬3冠を達成。牝馬3冠を取った馬はこれまでたった5頭しかいない。10年にアパパネという馬も達成しているが、その馬も国枝師が管理していた。調教師で3冠牝馬を2頭も育てたのは、国枝師ただひとり。岐阜県生まれ。笠松競馬場という地方競馬はあったが、中央競馬からは縁遠い。どうして競馬に興味を持ったのか。

国枝調教師(以下国枝師) 中学のときの同級生で、競馬好きの友人がいたんだよ。彼の話を聞くうちに競馬に興味をもったんだ。高校に入ってからも競馬は見ていた。でもその友人は別の高校に進学した後、もう競馬に興味がなくなっていたんだ。彼から競馬を教えてもらったのが自分のターニングポイントだね。

競馬の楽しさを教えて、その友人は競馬から離れた。教えられた方は、後にトップクラスの調教師になるのだから人生分からない。競馬に興味を持った国枝師は東京農工大の獣医学科に進学する。そこでさらに馬にのめり込むことになった。

国枝調教師 あれは合格発表のときだったか、入学式のときだったか、馬術部がデモンストレーションをやっていてね。その後を付いていったんだ。もうそこから馬術部に入り浸り。最初に馬に乗ったときは、もう有頂天だったよ。授業もろくに出ないで、毎日馬の世話をしていた。そのころは競馬にはあまり興味がなくて、馬を世話することに夢中になった。どうして? 自分でもよく分からないけれど、それだけの魅力を馬に感じたんだろうね。

アーモンドアイをねぎらう国枝栄調教師(2020年年11月26日)
アーモンドアイをねぎらう国枝栄調教師(2020年年11月26日)

大学卒業後は、馬術部を通して知り合った、現在同じ調教師をしている高橋裕師の紹介で、中央競馬の厩舎の助手になった。ちょうど競馬人気が盛り上がり始めたとき。89年に調教師免許を取り、90年に開業。昨年までで931勝、重賞54勝という数字を積み重ねてきた。

国枝調教師 名伯楽、とか書かれるけれど、まぁ書いてもらえるのはありがたいけれど(笑い)、自分からすれば全然、全然まだまだ。馬は分からない。今でもそう思う。馬については「自分のやっていることが絶対」というのはないね。

馬と直接触れ合った大学時代から40年以上。それでもまだ馬は分からないという。数字についても特に執着しているわけではない。

国枝調教師 そりゃタイトルを欲しいことは欲しいよ。ただ長くやっていると競馬全体のことを見るようになってきた。これだけ恵まれた中でJRA(日本中央競馬会)は競馬をやっているのだから、もっともっと良くしていかないと。馬に失礼だし、競馬の歴史に対して失礼だ。ホースファーストという感覚を大事にしないといけない。改善しないといけないところは、まだまだたくさんあるんだ。

ときに口うるさく、ときに耳が痛いことを、国枝師は競馬会だけではなく、マスコミにも言う。だが国枝師の周りには人が絶えない。それは、競馬は馬が最優先、という理念から全くぶれないからだ。競馬界には「ホースマン」という言葉がある。簡単に言えば馬に魅了され、馬に人生をかけた人のこと。それは国枝師の姿、そのものだ。

◆国枝栄(くにえだ・さかえ)1955年(昭30)4月14日、岐阜県生まれ。厩舎開業は90年で初勝利は同年3月。98年のダービー卿CTをブラックホークで初重賞勝ち。99年のスプリンターズSを同馬で勝ち、初のG1制覇。以降、マツリダゴッホ、ピンクカメオ、マイネルキッツ、アーモンドアイでG1勝利を重ねる。

(2020年6月13日、ニッカンスポーツ・コム掲載)