<巨人3-5ヤクルト>◇8日◇東京ドーム

巨人坂本勇人内野手(31)のプロ14年間は、「キセキ」の連続だ。同僚、友人、恩師ら大好きな仲間への永久の愛を形にしてきた。背番号「6」の背中には夢がある。“奇跡”がある。想像を絶する重圧を背負いながら、仲間と、ファンと、喜びや悲しみを分け合ってきた。

関西出身のイケメンは長身でスタイルも抜群。愛される男の裏側は人情味にあふれ、その傍らには涙があった。利己的な涙はない。ピュアに人を思う気持ちが涙であふれた。大好きな仲間と寄り添って、歩いた仲間との“軌跡”をたどる。これから先も何十年続いていけるような「キセキ」がある。

巨人長嶋終身名誉監督と原監督のサイン入りのユニホームが贈られ、感激した表情の坂本(撮影・たえ見朱実)

坂本が進む道には、喜怒哀楽の「奇跡のドラマ」がある。野球を始めた時は左投げだった少年が、小学生の野球チームで手にしたグラブは右利き用の兄のお下がり。07年6月19日にがんで亡くなった母輝美さんから与えられたものだった。「おかんのおかげ」。今では笑い飛ばすが、昨年、セ・リーグの遊撃手では初のMVP選出も、右投げでなければありえなかった。それが「遊撃・坂本」の奇跡の始まりだった。 不思議な力を感じさせてくれたのは母だった。1年目の07年5月12日の日本ハムとの2軍戦(姫路)。スタンドで観戦する母へアーチをプレゼントした。

「僕の野球人生で初めてホームランを狙った試合です。闘病中の母が車いすで球場に駆けつけてくれて…。亡くなる1カ月前のことでした。プロに入ってから母が球場に来てくれたのは、後にも先にもその1回だけ。とにかく母を元気づけたい、その一心でした。プレッシャーの中、母の前で打てた1発が僕に自信を与えてくれました。(08年優勝手記より一部抜粋)」

2000安打を達成し、会見で心境を語る巨人坂本(代表撮影)

おかんにもらった自信をすぐに開眼させた。同9月6日の中日戦。同点の延長12回2死満塁。原監督から「ハヤト、行ってこい」と背中を押され、代打で出場。プロ初安打を決勝適時打で決めた。「寮に帰って、お母さんに報告したい」と天を見上げた。

08年4月6日の阪神戦では、プロ初本塁打をリーグ最年少のグランドスラムで飾った。「打った瞬間は覚えてません。打っちゃったって感じです」。記憶に残る初安打で2000安打へと走りだし、記録に残る1号も刻んだ。

「拓さんの分も頑張りますから」。10年4月7日、内野守備走塁コーチだった木村拓也さんがくも膜下出血のため急死した。生前、「いっぱい食え」とごちそうしてもらった飲食店に出向き、悲しみに暮れる店主に誓った。木村さんの誕生日だった同4月15日の阪神戦で逆転の満塁本塁打を届けた。

巨人対ヤクルト 1回裏巨人2死、通算2000安打となる二塁打を放つ坂本。投手スアレス(撮影・垰建太)

国民的スターとも通じ合った。「木村拓哉さん、見てくれましたか」。14年のオープン戦は大スランプに陥った。迎えた3月28日の阪神戦。君が代斉唱で来場した元SMAPの木村拓哉から「頑張れ!」と背中をバンっとたたかれた。「スーパースターからパワーをいただいた」。1点を追う4回2死、バックスクリーン左に通算100号のメモリアル弾で応えた。

17年5月10日の阪神戦。光星学院(現八戸学院光星)時代のチームメート、柴田耕一郎さんの通夜が営まれる中、バットに思いを込め、1試合2本のアーチを放った。試合後、故人をしのびながら、食事中だった金沢監督、同級生に電話。「今日は耕一郎のために打ったで」。仲間はおえつを漏らしながら、涙を流した。天国に旅立った友へ-。力の限り振り抜いた白球には、高校時代の仲間の魂も宿った。

1つの夢をかなえた1発も格別だった。19年9月27日のDeNA戦。引退を決めた阿部のために「ありがとう慎之助」と銘打たれた一戦だった。自身初の40号で“師匠”と最後のアベック弾。「僕の夢だった40号を打てた日が、今日という日で阿部さんと一緒にホームランを打てたことが最高にうれしいし、感動です」と彩った。

1年後には“恩師”のメモリアルにも花を添えた。9月9日中日戦。自身初の3打席連続のアーチで川上哲治氏に並ぶ監督通算1066勝目を原監督に贈った。「監督のもとで長く一緒にプレーできていることは財産ですし、光栄です」。球団歴代最多を更新する1067勝目も決勝アーチで飾った。2000安打に到達した本拠地最終戦は、本来はなかった試合。7月10日のヤクルト戦が雨天中止となり追加された舞台だった。 幼いころ、母から渡された兄のお古のグラブを手にした日から約20年。「SAKAMOTO」の名は世界にも知れ渡り、メジャー屈指の遊撃手のヤンキース・ジーターからグラブが届いた。「日本のヤンキースで若い頃から、遊撃手でプレーする選手がいる」と聞き、「これをプレゼントしてくれ」と託されたものだった。

傷だらけのグラブからスタートし、海を飛び越え、世界一のスーパースターからグラブが贈られる。それって…「奇跡」。【久保賢吾】

(2020年11月9日、ニッカンスポーツ・コム掲載)