<おにぎり今昔物語(3)>

梅は日本中のどこでも生産されており、梅干しは“保存食の代表格”として日本人の食生活に深く根付いていますよね。おにぎりの具材としてだけでなく、日本の国旗を模した「日の丸弁当」などなど、日本人にとって梅干しとお米は非常に密接な関係で結ばれています。みなさんはこの組み合わせ、いつからあるのかご存知ですか?

承久の乱で北条政子に勝利もたらす

じつは梅干しとお米の出会いはとても古く、武士の世までさかのぼります。きっかけは鎌倉時代の「承久の乱」。1221年(承久3)、幕府の後継者争いの混乱に乗じて、後鳥羽上皇が挙兵し、朝廷の権力奪還をもくろみました。

そこに立ちはだかったのが頼朝の妻・北条政子。東国(鎌倉幕府側)の武士たちに、当時きわめて貴重だった梅干しとお米をあたえるとして、20万人もの兵を集めることに成功し、朝廷軍を鎮圧したのです。つまり、承久の乱では「梅干し入りのおにぎり」が勝負を決めたといっても過言ではありません。

これを機に、梅干しが全国に広まったと言われています。梅干しは保存食としてだけでなく、その抗菌作用から傷の消毒や戦場での食中毒、伝染病の予防にも使われたそうです。

さらに、梅干しを見ると唾液がドッと出ることから、脱水症状を防ぐと考えられたこともあり、戦争時の戦略物資の一面をそなえた万能食材として重宝されました。その後、多くの武将たちが梅の植樹を奨励したこともあり、“梅干しが武士の世を支えた”といっても大げさではないかも知れません。

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