巨人小関竜也コーチ(41)の実家・栃木で、連日行列の佐野ラーメン「万里」。父忠彦さん(65)に、そのおいしさの秘密と青竹手打ち麺にかけた人生を聞きました。

食感「ふわふわ」手打ち麺

 万里の営業時間は午前11時から午後6時半。曜日によって差はあるが、開店前から行列ができ、30席ほどの店内は常ににぎわう。取材はようやく客足が切れる午後3時すぎに約束した。店主の忠彦さんは、ゴルフメーカーの赤いキャップをかぶっていた。まだ小関コーチが西武の現役選手だったころに行列に並んだ当時は、緑色の大リーグ・アスレチックスのキャップだった。そんな思い出を切り出すと「ずいぶん前だね」と懐かしんでくれた。あれから20年近く。現在の場所に店を開いてからなら30年も、万里に行列ができない日はない。

「万里」の手打ちラーメン。手打ち麺ならではの不揃いな麺はふわふわしながらコシがある。麺が透けて見えるスープが佐野ラーメンの特長だ

 手打ちラーメン(640円)をいただく。しょうゆ味なのに透明なスープの向こうに太めのちぢれ麺…いや、ちぢれたように見える手打ち麺が見える。「つるつる」なのか「しこしこ」なのか。どちらにも当てはまらない麺は長さや太さがふぞろいで、食べるたびに舌触りや食感が違う。あっさり味のスープが麺に絡んで、すすり終える瞬間に「ちょろっ」とはねる。ふぞろいだから予測不能のイレギュラーバウンド。久しぶりに味わう佐野ラーメンの醍醐味(だいごみ)を感じていると、忠彦さんは「手打ちじゃないと『ふわふわ』とした感じが出ないんですよ」と説明した。そうだ。「ふわふわ」こそ、佐野ラーメンの麺の味わいを示す言葉だと実感した。

天気や気温、湿度で手打ちの仕方が変わる

 佐野市観光協会のホームページによると、市内には200軒以上のラーメン店が営業する。多くが「青竹手打ち麺」を掲げる。忠彦さんの祖父がラーメン屋台を営んでいた当時も手打ちだった。市内に竹林があったのがきっかけのようだという。小麦粉を固めたタネに竹を乗せ、片足を引っかけて全身をはずませる。そうやって適当な厚みに広げるうちに、麺の中に気泡が入っていく。断面を顕微鏡でのぞけば、無数の穴が開いているのが「ふわふわ」の正体だ。製麺機のようにローラーで広げると硬くなってしまう。硬めを好む人も多いが、忠彦さんは「コシがあるのと硬いのは違うからね」と、軟らかくてもコシがある、手打ち麺のプライドを語った。

右足を竹に掛け、手打ち麺作りを再現する万里の小関忠彦さん

 西武時代の小関コーチの同僚だった金村義明内野手(現野球評論家)は「万里の東京店ができたら店長になりたい」とよく話していた。忠彦さんは実際に行列に並んでいた金村氏の姿を思い出し、恐縮しつつも、東京進出をもくろんだことは1度もない。「そんなに甘いものじゃないですよ。佐野の水がおいしいのもあるけど、天気や気温、湿度によって水の量など手打ちの仕方が変わる。毎日条件が違うから、なかなか10割打者になれない。毎日が挑戦、勉強です」。

 確かに佐野ラーメンの店が、東京で大成功した例を聞いたことがない。気候や風土をすべて知った上でも、完璧には届かない。難しいからこそ、慣れ親しんだ佐野で、手打ちを続ける理由なのかもしれない。「だからどの店の麺も味が違う。お客さんそれぞれに好みの麺があるし、いろんな麺が楽しめるんです」。

思わぬ都市伝説も

 忠彦さんは20代のころ、東京のサッポロラーメンチェーン店に勤務し、店長まで任された。帰京し、佐野ラーメンの店を出したが製麺機の麺では売れず、手打ちを学んだ。深夜営業にも励み、常連客を増やして1989年(平元)に幹線道路沿いの現在の店に移った。小関コーチが活躍し始めたころ、万里は息子の試合を観戦するため、休んでいるのだとうわさされた。「そんなことないですよ(大笑い)。6時には閉めてたからかなあ。帰ってテレビは見ましたけどね(笑い)」。1日の手打ち麺の数は限られる。人気佐野ラーメンだからこそ、思わぬ都市伝説まで生んだようだ。【久我悟】

佐野ラーメン

日本名水百選の出流原弁天池の湧き水など良質な水と地元産の小麦に恵まれ、古くから手打ちラーメン店が多かった。佐野市観光協会ホームページによると、近隣のゴルフ場を訪れる客によるクチコミが全国に広がるきっかけになり、88年に「佐野らーめん会」が発足。各店が競い合うように研究を重ねてきた。

万里(ばんり)

1977年(昭52)に佐野市内に5坪ほどの広さで開店。89年に30席の規模の現在の店に移転。チャーシューメン840円、にんにくラーメン690円、わかめラーメン740円、餃子400円など。小関コーチの母弘美さん、兄邦彦さんも店に立つ。
住所:栃木県佐野市高萩町437の7

(2018年2月17日付日刊スポーツ紙面掲載)