<大相撲初場所>◇9日目◇20日◇東京・両国国技館

小よく大を制した。体重99キロの西前頭5枚目の炎鵬(25=宮城野)が、160キロの大関豪栄道を押し出しで破った。

1975年(昭50)以降で100キロ未満の力士が大関を撃破したのは、千代の富士、舞の海以来3人目。初大関戦で頭をフル回転して白星をもぎ取った。大関貴景勝を破った平幕の正代と徳勝龍が1敗を守った。

支度部屋で笑顔を見せる炎鵬(撮影・小沢裕)
支度部屋で笑顔を見せる炎鵬(撮影・小沢裕)

自身初の結びから2番前の取り組み。168センチの小柄な体に、独特な雰囲気がのしかかってきた。余裕のある相手に対して、どこかぎこちない仕切りの炎鵬。「死ぬほど緊張してました」。一瞬で勝負が決まると、大歓声を一身に浴びた。

手の内がばれたが修正した。緊張から思わずつっかけ、つい左に飛び出てしまった1度目の立ち合い。「頭の中が真っ白になりました」。2度目の立ち合い。突進してきた相手を右にかわす。左腕を手繰って回り込むと、目の前には土俵際でつんのめる大関。その好機を逃すまいと、振り向かれる前に力いっぱい押し込んだ。「体が反応した。信じられないです。今もフワフワしています」。支度部屋では喜びよりも、不思議そうな表情を浮かべた。

豪栄道(左)を押し出しで破る炎鵬(撮影・狩俣裕三)
豪栄道(左)を押し出しで破る炎鵬(撮影・狩俣裕三)

17年春場所で角界入りした時、体重は95キロだった。苦手な食べ物は白米。温かい白米から出る湯気のにおいが受け付けなかった。しかし同部屋の横綱白鵬から、上位で勝つために100キロを目指すように言われて決意。焼き肉のタレやふりかけをかけてにおいをごまかし、白米をかきこんだ。加えてウエートトレーニングやプロテインなども駆使し、今も現役関取最軽量だが99キロにまで増量した。

一方で、体重を重要視し過ぎない考え方も持っている。「体重を気にし過ぎて、取り組み以外に神経を使いたくない」と、新入幕を果たした昨年夏場所以降は場所中の体重計測をやめた。「それよりも取り組みに集中したい。体が小さい分、考えることも多い」と持論を展開。初大関戦となったこの日も、183センチの豪栄道の体に圧倒されながらも「次どうするかを必死に考えた」と頭をフル回転。2度目の仕切りまでに作戦を練り、65年以降で60人目となる大関初挑戦初白星を獲得した。

インタビューを終え支度部屋に引き揚げる炎鵬(撮影・河田真司)
インタビューを終え支度部屋に引き揚げる炎鵬(撮影・河田真司)

8日目の遠藤戦では聞こえなかった大歓声も「体の芯から震え上がるものがあった」と味方につけた。10日目の相手は、2日連続の大関戦となる貴景勝。「頭を使いながら必死にやるだけ」。小兵の背中が、一段と大きく見えた。【佐々木隆史】

◆体重100キロ未満の大関戦勝利
75年以降のデータで100キロ未満の関取は炎鵬で14人目。大関戦勝利は炎鵬が3人目になる。 ▽千代の富士 78年夏場所13日目に大関貴乃花を寄り切る。新三役で小結昇進の翌名古屋場所も5勝10敗で負け越したが2日目に貴ノ花をつり出しで、5日目には旭国を寄り切る。体重はともに96キロ。 ▽舞の海 94年名古屋場所(97キロ)2日目に貴ノ花を、95年同場所(98キロ)14日目に貴ノ浪を、それぞれ切り返しで破る。

◆炎鵬晃(えんほう・あきら)本名・中村友哉。1994年(平6)10月18日、金沢市生まれ。兄文哉さんの影響で5歳から相撲を始める。金沢学院東高で3年時に高校総体8強。金沢学院大では2、3年時に世界選手権軽量級で優勝。初土俵は17年春場所。横綱白鵬に憧れ、白鵬の内弟子として入門。白鵬から「ひねり王子」の愛称をつけられる。序ノ口、序二段、三段目と3場所連続で各段優勝を果たし、18年春場所新十両、19年夏場所新入幕。家族は両親、兄。168センチ、99キロ。血液型AB。得意は左四つ、下手投げ。通算117勝76敗。

(2020年1月21日、ニッカンスポーツ・コム掲載)