稲妻に、中野谷。90年夏の甲子園。当時9歳の私を夢中にさせた珍名高校球児は、マリンブルーのユニホームを着ていた。
「私はその時、三塁コーチでした。プロにも行った武藤にショートから追いやられて」と、横浜商(神奈川)の小嶋一紀監督(47)が穏やかに懐かしむ。指導者として母校に戻り、思う。「校舎もグラウンドも、市民の期待も、何も変わっていないですよ」。
83年は春夏連続甲子園準優勝。胸をY文字が彩る通称“Y校”はもう22年間、甲子園に縁がない。「選手の素材もやる気も、昔と変わらずすごいです」と小嶋監督は言う。練習を見ていても、確かに動きのいい選手が多い。横浜、東海大相模など私立優勢の神奈川において、Y校は横浜市立の公立校だ。
周囲より頭1つ大きな選手がいた。身長192センチの笹川吉康投手(2年)。知名度は低いが、すでにセ、パ1球団ずつのスカウトが視察した大型左腕だ。アーム投法気味ながら、最速140キロ近い直球に力があり、フォロースルーも見栄えがある。中学野球の名門・中本牧シニアの出身だ。
実力校との練習試合で、自信もついてきた。大阪偕星学園を完封。今秋関東大会8強の西武台(埼玉)は2-1で封じた。明治神宮大会準優勝の高崎健康福祉大高崎(群馬)戦も3回無失点。「同じ高校生。負ける気はしません」と頼もしい。高校通算28本塁打を誇る外野手の一面も。「両方やりたいです。どっちも好きなので。いつか160キロを」。夢は膨らむ。
小嶋監督は「野生児ですよ」と笑い、笹川も否定せずに笑う。マウンドでは柔和さは隠す。少年と青年の端境期。厳しい判定で、地面にロジンバックをたたきつけた過去もある。「だめですよね。失礼だし、チームの士気も下がる」と笹川。失敗から学ぶのも青春時代。でも、監督は純な部分も知っている。
「中学で、彼が負けた試合を見ました。チームがみんな肩を落として整列に向かう中、笹川は打者が置いたバットをベンチに急いで片付け、整列に向かった。そんな男なんです」。
古豪復活へ。未完のエースも周囲の期待を十分に感じ取る。「この冬にもっと頑張って、東海大相模とかを1、2点に抑えられるようになって、打線が3点くらい…」と描く。
遠目にもまだ細い。「この冬で体重90キロ」が目標だ。入学時に68キロで、現在は81キロ。食べても太りにくい体質ながら「けっこう頑張ってきたんです」と言う。ただ「好き嫌いが多いので」と苦笑する。強くなるため、この冬は天敵の野菜にも立ち向かう。
日が沈み、高さ296メートルの横浜ランドマークタワーが点灯した。90年当時は着工したばかりだった。あれから約30年。小嶋監督は「プロ野球選手になってほしいし、もちろん何より甲子園。彼はその責任感、使命感をしっかり分かっています」と逸材に思いを託す。横浜商、ここにあり。笹川が“Y校のランドマーク”になる。【金子真仁】
(2019年12月5日、ニッカンスポーツ・コム掲載)