1型糖尿病と闘いながら甲府などで活躍した元Jリーガーの杉山新氏(38)が18日、さいたま市のクラーク記念国際高校さいたまキャンパスで講演会を開いた。同校が継続的に行っている「その道のプロに聞く」という授業の一環で、約250人の生徒を前に闘病しながらの選手生活や、今後の夢について語った。

簡易測定器を手に話をする杉山新氏
簡易測定器を手に話をする杉山新氏

杉山氏はJリーガーとして軌道に乗り始めた2003年11月、1型糖尿病を発症した。

杉山氏 それまで知っている病気といえば風邪だけ。その年の2月に受けたメディカルチェックでは問題なかったので、風邪だと思って点滴を受けた。でも変わらなくて検査を受けたら、尿から糖が出ていると入院しました。

1型は突然発症してしまう自己免疫疾患であり、予防が困難とされている。一般的に認識されている食生活や運動不足などによる糖尿病は2型にあたる。

杉山氏 12月は契約更新の時期で、(クラブから)「とりあえず待ってくれ」と言われました。サッカー選手で例がないから慎重になったんでしょう。

1度は戦力外通告を受けたが、クラブと交渉してテスト生にしてもらった。3カ月の猶予を与えられた。

杉山氏 3月までにサッカー選手としてできるかどうか、評価してもらわなければならなかった。自分でできているつもりでも、評価は人がするもの。「あいつ動けていない」と評価されたら終わり。低血糖で倒れたら再契約してもらえない。

グラウンドを1周して血糖値を測り、2周して再び測る。すべての数値をノートに記録した。

杉山氏 試しながら「まだ大丈夫だ」と繰り返していくうちに自信になっていった。自信が生まれると「契約してほしい」という願いも強くなっていきました。

再契約を勝ち取り、そこからも甲府、大宮、横浜FC、岐阜と移籍しながら現役を続けた。岐阜時代の2013年11月書籍「絶望なんかで夢は死なない」(イーストプレス)を刊行するまで、闘病は公表していなかった。2015年2月に引退を発表。現在は都内の高校サッカー部でコーチをしながら、1型糖尿病ドリームチャレンジ実行委員会を発足して病気に悩む子どもの応援や、周囲の理解を求める活動をしている。

杉山氏 注射を打っているけど、血糖のコントロールさえできればスポーツでも何でもできます。ちょっと荷物が増えるだけです。

そう言って黒いポーチを取り出した。中にはインスリンや注射器、簡易計測器が入っているという。計測器を取り出して生徒の前で血糖値を計った。

杉山氏 170だね。こうやって大勢の前で話すときは興奮するから300ぐらいになる。今日は170だから落ち着いて話せているのかな。

子どもが1型糖尿病を発症するケースもある。注射をする姿を友達に見られたくないため、トイレに隠れてインスリン注射する小学生もいるという。給食のたびに保健室で注射をするため、いつも冷めた給食を食べている子もいるという。

杉山氏は2017年、そんな子どもたちを連れてスペインへ行き、レアル・マドリードの試合を観戦した。同チームのDFナチョ・フェルナンデスも1型糖尿病と診断されながら、世界の第一線で活躍し続けている。その姿を見せたかったからだ。費用はクラウドファンディングで集めた。本人に会える保証もないまま渡航したが、面会がかなった。そして試合ではフェルナンデスが先制ゴールを決めて、スタンドに向かって両手でハートマークをつくってくれた。

杉山氏 実際に行くまではいろいろあったけど、子どもや協力してくれたスタッフの笑顔を見たら吹き飛びました。

フェルナンデスは昨年のロシア・ワールドカップ(W杯)でもスペイン代表として活躍した。

杉山氏 そんなに活躍しないでよと思う。だって、あまりにすごい選手になったら、もう会えなくなっちゃうから。

今年も1型糖尿病に苦しむ子どもたちを連れて渡航する計画もあるという。この日のように人前で話すのは苦手というが、子どもたちの夢を応援するためにトライしている。

杉山氏 人って変われるんだなと思います。意識さえすれば変われるし、夢があれば進んでいける。皆さん、夢を探してください。

診断されたときの絶望感や苦しい闘病生活を笑顔で語り続けた。杉山氏が教室を後にするまで、大きな拍手が鳴りやまなかった。

(2019年2月18日、ニッカンスポーツ・コム掲載)