<村上睦子さん、加藤貴子さん、山田かがりさんに聞く:上>

 かつての名選手は現役時代、どんな食生活を送っていたのでしょうか。バスケットボール女子の元日本代表としてアトランタ五輪に出場し、1990年シーズンからリーグ10連覇を果たしたシャンソン化粧品(現シャンソンVマジック)の中核選手、村上睦子さん(47)、加藤貴子さん(46)、山田かがりさん(45)が当時の食事の思い出を語り合いました。前編は高校時代、シャンソン時代を振り返ります。

現役時代の食生活を振り返る(左から)山田かがりさん、村上睦子さん、加藤貴子さん
現役時代の食生活を振り返る(左から)山田かがりさん、村上睦子さん、加藤貴子さん

学校の厨房で作ったレバニラ炒め

--高校時代の思い出の味といえば?

加藤:私は自宅から高校(富岡=現金沢総合、神奈川)に通っていたから、食べていたのは母の手料理。「バランス良く」と、いつも言われていたような気がする。

村上:ジェット(加藤)の実家は精肉店だったけど、やっぱりおかずはお肉が多かった?

加藤:やっぱり、肉が多かったと思う。

村上:牛乳も飲んでいた?(加藤は身長180センチ、村上は165センチ)。別に牛乳だけが身長に影響するわけじゃないか(笑)

加藤:両親が牛乳嫌いだから、家では牛乳が出されなかった。

村上:1日の食事量はどのくらいだったの?

加藤:うーん、かなり食べていたよね。でも、朝は朝練があったからパン1枚。途中でお腹が空いちゃうから、登校途中でサンドイッチや学校でパンを買って、授業の合間に食べて、昼はお弁当をどかっと食べていた。部活後、ラーメンを食べて帰るときも時々、あったね。

山田:今、名短(名古屋短大付=現桜花学園、愛知)は全員寮生活だけど、私の時代は遠距離の子だけだったから、私は自宅から通っていた。貧血で、レバーなど鉄分の多いものはたくさん食べたけど、そのほかは何でも、まんべんなく食べていたかな。

村上:そっか~。2人とも自宅生活で、お母さんの手料理を食べてたなんて、幸せだね。

加藤:寮ってそんな大変だったの?

アトランタ五輪女子バスケットボールグループA、日本対ブラジル ドリブルで攻め込む日本の村上睦子(右、1996年7月25日)
アトランタ五輪女子バスケットボールグループA、日本対ブラジル ドリブルで攻め込む日本の村上睦子(右、1996年7月25日)

村上:学校(星城・愛知)内にある食堂で食べてたけど、やっぱり温かいおかずは食べられなかった。朝は、みそ汁、納豆、卵がけご飯。そのご飯の量が半端なく多いから流し込んで食べていた記憶が…。昼は売店でパンを買って食べていたけど、「それじゃ、栄養面で足りない」ということになって、2年生になった頃から監督がまとめて弁当を予約するようになったかな。学校での食環境は当時良くなかったから監督もなんとかしたいと考えていたみたい。今は時代も変わり父兄の方が夜は作りに来たりしている前に聞いたけどね。あと、私達の時代、夜は夕ご飯のほかに時々近くのお寿司屋さんにレバーをもらいに行って自分たちで調理してた。

山田:え? 自分たちで?

村上:そう。学校の食堂の厨房を借りて、自分たちでレバニラ炒めを作るんだけど、当時は血抜きとかちゃんと出来ないから、炒めてもすごく臭いまま食べていた記憶がある。

加藤:うわー、強烈な思い出だね。

村上:もうレバーは十分食べたから、今ではもう見たくないかな(笑)。

山田:当時は栄養指導されることもないし、「バランスより、とにかく量を食べろ」という感じだったね。

泣きながら食べた白ご飯

--シャンソン化粧品に入社してからは?

加藤:シャンソンはチーム全員寮生活。栄養士の方が来てくれて、は色々食事指導されたね。みっちゃん(村上)が白ご飯を量って、泣きながら食べていたのを覚えてる。苦しんでたよね。

村上:アトランタオリンピックが終わった翌年の1997年のオールジャパン(全日本総合バスケットボール選手権)でジャパンエナジー(現JX-ENEOS)に負けたときだよね。「食べろ、食べろ」と言われ、泣けてきちゃって…。練習も厳しくなり、たくさん食べることで走り負けない体作りをするためと分かっていたけど、ここまでしてご飯を食べなければならないのかと。1日4食「食べろ食べろ」と言われ、それが嫌だった時期があった。

加藤:私はシーズン中、やせちゃうから夜にマック(マクドナルド)に行ってアップルパイを食べたり、シェイクを飲んだりしていた。とにかくカロリー摂取のために。

村上:プロテインも飲んでたよね。汗かいてやせちゃうからって。

加藤:ゆで卵もたくさん食べさせられなかった? 何個食べたんだろ…それって、私だけかな?

山田:ゆで卵の記憶はないね。私は体重が減ることはほとんどなかったから、そんな苦労はなかった。食欲がなくなることはなく、逆に増えちゃうぐらい(笑)

Wリーグプレーオフ決勝第5戦ジャパンエナジー対シャンソン化粧品 第1Q、ボールを奪い合うシャンソン化粧品の山田かがり(左)とジャパンエナジーの浜口典子(2002年3月13日)
Wリーグプレーオフ決勝第5戦ジャパンエナジー対シャンソン化粧品 第1Q、ボールを奪い合うシャンソン化粧品の山田かがり(左)とジャパンエナジーの浜口典子(2002年3月13日)

--日本トップクラスの実業団チームには、全国各地から選手が集まります。思い出のご当地飯はありますか?

加藤:ジョー(一乗アキ)さんが作ってくれた広島風お好み焼き! カキもおいしかった。

山田:後輩のゆき(高原由紀=札幌山の手出)のカニ! 北海道の甘い赤飯も覚えてない? 普通の赤飯は豆にささげを使うけど、北海道は甘納豆を入れて、色もピンクなの。あとは、リズ(相沢優子=聖和学園出)の仙台のタラコ飯。サケ、イクラのお弁当…。

村上:(シャンソン化粧品の川村修社長の)奥さまが冬場になると作ってくれた松前漬け。あれと一緒にご飯を食べたな。あと、普段、シャンソンは「生もの禁止」だったけど、優勝したときや全日本合宿の時に寿司屋で中川(文一)監督にご馳走になったよね。あれが「ごほうび飯」かな。

アトランタ五輪女子バスケットボールグループA、日本対中国 ゴール前で中国選手をマークする加藤貴子(左、1996年7月23日)
アトランタ五輪女子バスケットボールグループA、日本対中国 ゴール前で中国選手をマークする加藤貴子(左、1996年7月23日)

--集団生活において体調面で困ったことは?

村上:1番覚えているのは1年目。オールジャパンの2週間前にみんなで外食したら、翌日にひどい嘔吐と下痢で…キャプテンのヨウさん(山城定子)以外のスタメン全員が入院する事態になってしまい…。別に、生ものを食べたんじゃないんだけどね。

加藤:大問題にならなかったの?

村上:そのお店に来た他の人たちも同じ症状が出ていたら集団食中毒とか大事になると思うけど、そんなこともなくて…。私たちがシーズン中盤で免疫力が落ちていたのかもしれないからこうなったと思う。でも、ヨウさんだけは元気で「お前たち、甘いんだよ」と言われているような感じだったよ(笑)。そのときのオールジャパンは決勝戦のゲーム中でも「トイレに行くのOK」だったと思うよ。

加藤:その状態で決勝まで行ったんだ?!

村上:決勝で、当時の共石(共同石油=現JX-ENEOS)に負けたんだけど、おかげで食事には気を使うようになったね。(続く)