世界最大の祭典、五輪には選手村やMPC(メインプレスセンター)などに大量の食事が提供される。その余った食材を使って、ホームレスらに無料で食事を提供するプロジェクトがある。2016年「世界のベスト・レストラン50」で1位に輝いた世界最高のイタリア人シェフ、マッシモ・ボットゥーラ氏(53)らが企画。記者も給仕ボランティアを行い、日本の「炊きだし」とはひと味違う、貧困救済の現場を垣間見た。【リオデジャネイロ=三須一紀】

記者も給仕ボランティア

給仕作業をした記者をねぎらう世界的シェフたち。左からダヴィ・ヘルツ氏、カルロス・ガルシア氏、マッシモ・ボットゥーラ氏(撮影・エリーザ大塚通信員)
給仕作業をした記者をねぎらう世界的シェフたち。左からダヴィ・ヘルツ氏、カルロス・ガルシア氏、マッシモ・ボットゥーラ氏(撮影・エリーザ大塚通信員)

 来店したのはファベーラ(貧民街)にも住めないホームレス40人と、強い差別を受け、職に就けないゲイの人たち16人だった。彼らはこの日のための一張羅で席に着いた。中には5歳ぐらいの男の子を連れた母親もいた。

 「お客さんの撮影は絶対にダメ」。ブラジルのNGO「ガストロモチーバ」の担当者は口酸っぱく言った。本企画の発案者であるブラジル人シェフでNGOの代表でもあるダビ・ヘルツ氏の信念だった。

 本企画の共同代表、ボットゥーラ氏は言う。「彼らの尊厳を奪うようなことはしてはいけない。我々は彼らを尊敬している」。

 この日、責任シェフを担当したのは国内1位に輝いたこともあるベネズエラのカルロス・ガルシア氏。前菜は「ニンジンとピーナツの煮込み」、メインディッシュはバナナ、パクチー、パセリ、ニンニク、肉汁をソースにした「ベネズエラの牛肉料理」、デザートも米をベースにした「ベネズエラ風ババロア」を用意した。

ベネズエラの牛肉煮込み
ベネズエラの牛肉煮込み

 約2カ月前まで、何もなかった場所に“プレハブ”を建てた。だが内装は高級レストラン風に、デザインもこだわった。野外での炊きだしでなく、貧困に苦しむ人が普段味わえない、温かく落ち着いた場所での食事を提供したかった。

 食材の調達先もこだわった。世界の技術や富が結集する「五輪」に目を付けた。選手村やMPCに大量に提供される食事には、少しでも不格好な野菜などは使わない。熟して赤くなりすぎたトマトは「サラダには向かない」と判断され、通常だと廃棄処分だったが、それをリオ五輪組織委などと交渉し、もらい受けることになった。

ニンジンとピーナツの煮込み
ニンジンとピーナツの煮込み

 ガルシア氏は「食材はあり過ぎて、2日前に来たものを使った。五輪には、ものも無駄遣いも多すぎるのだろう」と語った。

 9日に始まった「貧困救済レストラン」は約40日間営業。パラリンピック終了後は一定期間の休みを置き、営業を再開する予定。その際はランチを通常営業し、そこで集めた資金を使って夜は毎日、貧しさと飢えに苦しむ人たちに、温かい食事を提供していく。

ガストロモチーバ

 「食へのモチベーション」という意味。06年サンパウロで設立されたNGOで国内5カ所、メキシコ、南アフリカと計7カ所にある。ファベーラ出身者に料理を勉強させて、約2500人を世に送り出した。今回、手伝いをしたのはNGOで学んだ若者たちだった。

イタリアの★★★レストラン

 ボットゥーラ氏はイタリア・モデナに「オステリア・フランチェスカーナ」というミシュランガイド3つ星レストランを経営している。15年ミラノ万博では自身のNGO「FOOD FOR SOUL」が、貧困救済レストランを実施した。今回のリオではその案を踏襲して、ヘルツ氏がボットゥーラ氏にラブコールを送り、実現した。

日本の炊き出しと違い「空間と時間」にこだわる/取材後記

 日本でも貧困層を救おうと「炊きだし」がよく企画される。場所はだいたい公園。ずんどう鍋に豚汁やカレーなどを作り、食を求める人たちが長蛇の列をつくる。

貧困に苦しむ人に最高のディナーを食べてもらおうと内装も高級レストランのようだった(撮影・三須一紀)
貧困に苦しむ人に最高のディナーを食べてもらおうと内装も高級レストランのようだった(撮影・三須一紀)

 ガストロモチーバの取り組みは貧困者へのアプローチが違った。「食」そのものだけでなく「空間と時間」もこだわった。給仕ボランティアは食事出しの時間と皿の回収時間を徹底管理された。4つあるテーブルの外側を反時計回りに移動し、お客さんに目配せしながらコースディナーを振る舞う空間づくりを手伝った。

 「ポルファボール(どうぞ)」「ダリセンサ(すみません)」「デスクーペ(ごめんなさい)」「オブリガード(ありがとう)」。ポルトガル語が話せないため4語覚えて給仕。お客さんは喜んでくれた。帰り際、たくさんの人が握手を求めてやって来た。「ムイト(本当に)オブリガード」と固く握る手は温かかった。1歩外に出ればリオと言えど、冬の寒空。満面の笑みを残し、終わりの見えない路上生活に戻っていった。

(2016年8月17日付日刊スポーツ紙面掲載)