東京パラリンピック日本選手団主将を務める車いすテニスの国枝慎吾(37=ユニクロ)が、パラリンピック金メダリストに返り咲いた。同8位のトム・エフベリンク(オランダ)に6-1、6-2で勝ち、08年北京、12年ロンドンに次ぐ2大会ぶり3度目のシングルス金メダルを獲得した。栄冠を手に涙を流す国枝を支えてきたのは、妻愛さん(37)だ。

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(2021年8月27日、ニッカンスポーツ・コム掲載記事より)

車いすテニスの世界ランク1位、国枝慎吾(37=ユニクロ)の夫人、愛さん(37)は04年アテネ・パラリンピックから付き合い始め、心身両面を支えてきた。SNSで公開する愛情たっぷりの手料理の写真はフォロワーの間で人気となっている。結婚10周年で迎える地元での大舞台。車いすや障がいを“壁”と思わないたくましさで金メダルを狙う夫を全面サポートしていく。【取材・構成=吉松忠弘】

20年全豪優勝時の国枝夫妻(国枝愛さん提供)
20年全豪優勝時の国枝夫妻(国枝愛さん提供)

SNSに毎日料理を投稿

今年の8月8日。国枝夫妻は結婚10周年を迎えた。記念の日に、国枝は愛さんに花を贈った。愛さんは、「すてきな花をどうもありがとう」と感謝の言葉を一緒に、花の写真を自身のSNSに投稿した。

そのSNSは、愛さんの手料理の写真であふれている。毎日、アップするのが日課だ。国枝家の食卓を飾る料理の数々は、食欲を刺激する。

愛さん いろんなものをまんべんなく食べるのが大事。野菜、肉、魚。時には、ピザにハンバーガー。絶対にダメなものはなく、楽しみを取り入れながら。

愛さんは3姉妹の長女。小さい頃から、台所で、母の横に立った。

愛さん よくあるパターン。(年齢が)一番上だから、母の手伝いとかよくした。自分でレシピを書いて、メモしてノートをつくったりとか。

結婚した2年後の13年。スポーツ選手に適格な食事を提供する「アスリート・フード・マイスター」の民間資格を取得した。そのきっかけがおもしろい。

愛さん 13年は野球の田中将大投手と里田まいさんが結婚した年。その時、里田さんが持っている資格が注目され、食事がおいしそうで。それで取ってみようかなと。

そうやって、日夜、“愛”妻料理を手がけるが、食べる夫には不満もある。

愛さん 私のつくったご飯を、おいしいとか言わない。1度も写真を撮ったことがない。好き嫌いはないし、何でも食べる。ただ、手はかからないけど、手応えはない。

やりがいがないので、SNSに上げてほめてもらおうと画策した。愛さんの前で、世界王者の旗色が悪くなってきた。

20年全豪優勝で、メルボルン市内のヤラ川を背に写真に納まる国枝夫妻(国枝愛さん提供)
20年全豪優勝で、メルボルン市内のヤラ川を背に写真に納まる国枝夫妻(国枝愛さん提供)

大学の同級生で同じサークル

2人は麗沢大の同級生だ。18歳で同じサークルで出会い、国枝が初出場したアテネ・パラリンピックの04年、20歳で付き合い始めた。まさに、パラリンピックとともに歩んできた2人の人生だ。 愛さん 彼のプロ意識、プロとしてどうあるべきかという点は、すごく尊敬している。そのストイックさは、本当にすごい。

さすが世界王者だ。しかし、愛さんは「ただ」と、つなげた。

愛さん 夫のパブリックなイメージは、まじめ、優しい、しっかりしてる、とか? プライベートでは、昔から全く変わらないけど、いいかげんにしてくれってことが多い。

国枝家には、もう笑い話としてネタになっているけんか話がある。

愛さん 夫は、飲み終わったペットボトルとか床に置く癖がある。せめて机に置いてほしい。何で捨てないのって怒ると、夫は「おれ障がい者だからできない」って。私は、いい意味で、国枝の妻で、お手伝いさんじゃないんだよって。

国枝は、日本のパラリンピアンで、間違いなく最も名前が知れた世界に誇る代表だ。意見を求められることも多いが、愛さんの前では、形なしである。

それは、夫妻が、喜怒哀楽がある普通の生活を送り、美談を嫌うからかもしれない。最近、国枝はテレビで、自分の競技人生を「共生社会のためとかでやってない」と話した。

愛さん わたしも同感。どうしても、障がいを乗り越えて素晴らしい、みたいな伝えられ方をする。ただ、テニスを離れたら、日常生活で困ることはめちゃくちゃたくさんある。毎日、小さなイライラや不満に折り合いをつけて、生きていく。気持ちは分かるが、軽々しく、障がいを乗り越えるとは言えないかな。

22日に、国枝は自宅を離れ、選手村に入った。選手村に入る前夜、21日の食卓には、好例の国枝の好きなタイめしが並んだ。そのおめで“たい”後押しで、国枝は24日の開会式で選手宣誓の大役を務め、27日に開幕する競技で、3度目の金メダルに挑む。

国枝慎吾(くにえだ・しんご)
・生まれ 1984年(昭59)2月21日、千葉県柏市生まれ。9歳の時、脊髄腫瘍で下半身まひに。小6で車いすテニスを始めた。
・アジア初のシングルス世界1位 06年10月に、全米オープンで優勝。同月9日付の世界ランキングで初めて1位となった。
・年間4大大会全制覇 07年に、車いすテニスツアーの当時の4大メジャーを年間で全制覇した歴代初の選手となった。全米10回、全仏、全米は7回優勝。16年から採用されたウィンブルドン優勝はない。
・プロ転向 09年4月に、車いすテニス選手として日本で初めてプロに転向した。
・107連勝 07年からシングルスを勝ち続け、11年12月のマスターズでウデ(フランス)に敗れるまで、ほぼ3年間無敗を通した。
・パラリンピック3度の金 08年北京、12年ロンドンでシングルス金メダル。04年アテネでダブルス金メダル。3個の金に、パラリンピック・シングルス17勝は日本最多。