各界のプロフェッショナルの子ども時代や競技との出会いなどに迫る「プロに聞く」。ボクシングの元WBC世界バンタム級暫定王者井上拓真(25=大橋)は、3階級王者の兄尚弥(27)とともに、幼少期から父真吾トレーナーの教えを受け、競技を続けてきた。世界王座返り咲きを誓う25歳が、偉大な兄と比較されてきた日々、その立場を受け入れた先の境地を語った。【取材・構成=奥山将志】

1月14日、再起戦に臨む井上拓真
1月14日、再起戦に臨む井上拓真

19年11月7日。尚弥が世界5階級王者ノニト・ドネアとの死闘を制し、スポットライトを浴びる横で、拓真は悔しさと向き合っていた。2万人が詰めかけた、さいたまスーパーアリーナ。兄との「ダブル世界戦」として行われたWBCバンタム級王者ウバーリとの王座統一戦に判定負けし、プロ初黒星を喫した。自身の試合を終え、勝利のタスキをつなぐはずの控室に戻った拓真は、「わるい」と声を絞り出し、戦いに向かう兄と拳を合わせた。感情を整理する間もなくジャージーに着替えると、急いで会場に戻り、リング下で兄に声援を送り続けた。

ボクシングを始めたのは4歳の時だった。物心つくと、目の前にはサンドバッグがあり、父から指導を受ける兄がいた。「ロープにぶらさがって遊んでいた」拓真も、小学生になると、その輪に加わり、井上家3人の長い戦いが始まった。

職人肌の真吾さんのモットーは「やるなら本気でやる」。自宅の鏡の前で、泣きながら1時間、シャドーを続けたこともあった。父は厳しかった。つらくて泣けば、また怒られた。それでも、根底にある愛情、情熱は幼心に響いていた。

拓真 ここまでやらないといけないのかと思ったこともありましたが、家族にとって、ボクシングは生活の一部のようなものでした。お父さんも、理不尽なこととかはまったくなくて、強くなるためにどうするのかって。ナオ(尚弥)と自分に本気で向き合ってくれているのは、幼いながらに感じていましたし、必死で食らいつく感じでした。

ボクシングの楽しさを知ったのは小4の時だった。横浜市内で行われたキッズのスパーリング大会に兄弟で出場した。実力が分からない同世代の選手と拳を交える、ヒリヒリとした緊張感がたまらなかった。

拓真 知らない選手が計量で集まってきて、この中の誰が自分の相手なんだろうって。すごく新鮮で、ワクワクしたのを覚えています。お父さんがセコンドについたのもこの時が初めてで、ナオも自分も勝って、ボクシングで最初にうれしいって思った瞬間ですね。

2歳上の兄の存在は、ずっと分かりやすい目標だった。だが、高校に進学すると、尚弥の才能は、一気に開花した。史上初のアマ7冠。尚弥が3年の時、拓真も高校に入学。1年時に総体を制す完璧な全国デビューも、それは同時に「井上の弟」としての難しい日々の始まりでもあった。

拓真 高校の最初は「井上に弟がいるらしい」って見られる感じでしたね。高校時代は、ナオのことはすごいとは思っていましたが、どこかで認めたくない部分もあったんです。感情だけのけんかのようなスパーになることもありましたし、100%すごいと思ってしまうと、負けを認めてしまうような気がして、それが嫌だったんです。

18年12月、判定勝ちで暫定王座に就き、兄尚弥(左)、父真吾さん(右)とポーズをとる
18年12月、判定勝ちで暫定王座に就き、兄尚弥(左)、父真吾さん(右)とポーズをとる

高校時代のそんな感情は、卒業後に飛び込んだプロの世界で、少しずつ変化していった。目の前で見ているからこそ分かる尚弥のすごさ。それを認めた時、拓真のボクシングに対する思いは、シンプルになった。

拓真 プロで5戦やった後ぐらいですかね。自分は判定勝ちが続いていましたが、ナオはずっと倒してきていた。当て勘というか、そういう部分ですよね。兄弟で試合をするわけではないですし、ナオの良いところどれだけ盗んで、自分がどこまでいけるかを考えればいいんだって。僕もボクサーとして諦めたくないですし、ナオと比べるとかではなく、自分が上を目指すだけだと自然と考えるように変わりました。

あの敗戦から約1年。再起戦は1月14日、ハードパンチャーで知られる東洋太平洋バンタム級王者栗原慶太(一力)との対戦に決まった。「もう負けたくない」。自分のボクシングを一から見つめ直してきたこの期間、胸にあったのは、幼少期から変わることのない、父の教えだった。

拓真 お父さんが常に言っているのは、メリハリなんです。ジムに入った瞬間からスイッチを入れて、その集中力でやりきること。それは今も大切にしていることですし、これからもずっと意識していきたいと思っています。次の試合を良い形でクリアできるように、さらに集中してやっていきたいと思います。【奥山将志】

◆井上拓真(いのうえ・たくま)1995年(平7)12月26日、神奈川県座間市生まれ。4歳から元アマ選手の父真吾さんにボクシングを教わり、小1から本格的に競技を開始。高校2冠。13年12月にプロデビューし、15年7月に東洋太平洋スーパーフライ級王座を獲得し、2度防衛の後返上。18年12月にWBC世界バンタム級暫定王座を獲得。趣味は爬虫(はちゅう)類飼育。164センチの右ボクサーファイター。血液型A。

(2020年10月24日、ニッカンスポーツ・コム掲載)